肯定文で「全然」「あまり」「決して」を使う人の脳内どうなってる?【day16】

モーニングメソッド・ルーティン

最近Amazonのレビューでこのようなコメントを見たんですよ。

決して使った方がいい

この気持ち悪さ、皆さんも分かりますよね。

多分投稿者としては、「絶対に」的な意味で「決して」を使ったんでしょうけど、「決して」は通常否定文で使われる文言ですよね。

仮に「決して使った方がいい」を論文の中でも使おうものなら再提出を求められるはずですし、記述式の試験なら本旨は合っていてもこの日本語のために減点されてもおかしくないレベルです。

でもよくよく考えると、このように「否定文で使われる程度副詞」を肯定文で使う人たまに見かけますよね。

ないに呼応する程度副詞を肯定文で使う人の例

  1. 全然〜ない
  2. あまり〜ない
  3. なかなか〜ない
  4. 決して〜ない

01・全然

A:このパスタ美味しくない?

B:全然美味しい!


A:こんな夜遅くにごめんね

B:全然大丈夫だよ!

02・あまり

A:粒子について知ってる?

B:あまりうといんだよね!


A:お腹空いてる?

B:あまり空いてる!

03・なかなか

A:美味しい?

B:なかなか美味しいよ!


A:体調どう?

B:なかなか優れないんだよね〜

04・決して

A:あれどうだった?

B:決しておすすめだよ!

この中で「ん?これ変か?」と思ったものがあるとすれば、「なかなか優れない」だと思います。

確かに、なかなか優れないは、他のものに比べれば使われているような気がします。

実際どうなのでしょうか。

なかなかを単体で否定文に用いることは実は不自然ではあるものの、そのほかの構成要素とともに使われることはある

参考資料>https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5096&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

例えば、

  • なかなか眠ってくれない
  • なかなか起きてくれない

のように、授受表現とともに使われる場面です。一方で、なかなか単体で使うとなると不自然さが残るようです。

この辺は言葉も生き物同様に変わっていくものですから、現代ではあまりうるさく指摘されないのかもしれません。ただ個人的には気になります。

外国語が思うように伸びない人は大抵、日本語が不自由である

だから何?と思われる方もいるでしょう。

結論として、日本語が不自由な人は外国語も同様に不自由であるということです。

母国語以上に第二外国語が使えるようになることはありません。理由は、勉強する過程で、外国語は母国語で理解されるからです。

決して使った方がいい

などというおかしな日本語を運用する人は、英語の表現そのほか文法についても、到底あり得ない形で理解します。或いは、そもそも構成を理解していないため壊滅的な文法で話すことがある。

言語コミュニケーション能力の本質は、聞くことです。

聞くことができれば、YES/NOで答えることができますし、シンプルな第三文型で答えることが出来ます。とは言え、それ以上のことは出来ません。

つまり、それ以上は伸びないんです。

リスニングについても、自分が使えない文法を他人に言われても理解することは出来ません。

聞くことが出来ないのは、自分のインプットにバラエティに富む表現や文法知識がないからです。

結論、日本語が不自由な人が何満年外国語を勉強しても、母国語以上に話せるようにはならない。母国語の感覚がおかしい人は、外国語を理解できるようにはならない。

【2021/06/29】やったこと

  • 瞑想(5分)
  • 0秒思考(4分)
  • ブログ(40分)
  • 読書(10分)

Buddhismの魅力に気付いてしまったら最後、人生が変わり続ける

最近私はBuddhismに傾倒しているんです。

考え方やものの見方、自分の心の反応がかなり変わってきました。何を言われても怒るようなことはなくなってきたと感じています。

怒りそうな自分の心を発見したら、それを理解して、沈めるだけです。

人の話を聞くときは同時に、相手の話によって反応する自分の心も見つめなければいけません。かなり高度な技術です。

だから人の話を聞ける人は重宝されるし愛されるし、人気なんだろうと思います。