【夕方以降】東京の座禅会【23区】初心者向けの指導ありをまとめる

思想哲学

お世話になっております。和久井港です。@realminatowakui

最近こんなツイートをしました。

このツイートは何気なく思ったことをつぶやいただけなんですが、仏教における「無我」であったり、「空」という概念に近しいものがある、と。

自然と湧き上がってきたものがあって、それが何なのかと調べていたら実は仏教の考え方だった、或いは、似ていたということが何度かあるんですよね。

さて、最近、仏教への関心が高まっています。

その理由については後述するとして、まずは23区の座禅会をメモしておきます。

東京都23区内で夕方以降に開催している座禅会まとめ

  1. 曹洞禅宗成城山耕運雲寺
  2. 臨済宗国泰寺派全生庵 山岡鉄舟ゆかりの寺
  3. 臨済宗円覚寺派三聖山慧然寺
  4. 曹洞宗大本山永平寺別院長谷寺 月曜座禅会

01・曹洞禅宗成城山耕運雲寺

  • 土曜坐禅
    • 毎週土曜日の夕方開催
    • 未経験者には坐禅指導あり
    • 親子でも参加可
    • 終了後には講和や座談会
  • 早朝坐禅
    • 毎月第1日曜朝開催
    • 終了後はお粥の接待あり
  • 暁天坐禅
    • 仕事の前に坐禅したい方向け
    • 無料
    • 初心者への指導なし

URL:https://kouunji.or.jp/zazenkai/

実は大学生時代からここには行きたいなと思っていたのですが、いまだに行けていません。コロナの宣言が終わったら行こうと思います。

02・臨済宗国泰寺派全生庵 山岡鉄舟ゆかりの寺

  • 日曜坐禅会
    • 毎日曜日午後6時〜8時 
    • 指導:平井正修
    • 初めての方は完全予約制 10名/回まで
    • 2回目以降予約不要
    • 1回目:500円
    • 2回目以降:300円

URL:http://www.theway.jp/zen/kouza_zazenkaiu.html

千駄木駅から徒歩5分です。いいですね。日暮里からは歩いて10分です。私の実家は茨城県ですが、茨城県からも通いやすい場所にあります。

03・臨済宗円覚寺派三聖山慧然寺

  • 毎週土曜開催
    • 土曜17:00~18:00
    • 会費:無料
    • 初めての方は16:30までに集合
  • ヨガや茶道教室もあり

URL:https://enenji.jp/zazen

門前仲町駅から徒歩5分です。いいですね。

清澄白河駅からも徒歩5分です。清澄白河っていかつい名前ですよね、なんか門前仲町といい、名前に風情がありますよね。

04・曹洞宗大本山永平寺別院長谷寺 月曜座禅会

  • 月曜参禅会
    • 毎週月曜日18時30分〜20時30分
    • 10分前に受付を済ませてください
    • 予約は不要
    • 参加者が多い場合は締め切りあり
    • 参加費:100円
    • 途中退室不可

表参道から徒歩10分です。いいですね。赤坂、六本木付近で働いてる人は近いから平日でも通いやすいかもしれませんね。

URL:http://chokokuji.jiin.com/

私が仏教に興味を持った理由は2つ【自己同一性と所有について】

文明人は、或いは、日本人というのは過度に西洋化された教育を受けていますよね。過度かどうかは一旦置いといても、仏教よりも西洋から輸入してきた英語であったり、科学であったりを学んでいるような気がします。

多分、気がするのではなくて事実そのはずです。

私は仏教を勉強したほうがいいとは全く思わないんです。そもそも学校の学習なんか興味がある人がやればいいと思っていて、四則演算と中卒程度の国語力があれば社会で生きていくには不足はないと考えているんです。

ただ、そろそろ窮屈になってる部分も多いんじゃないかな、と。

例えば、持っている人が偉いという考え方は資本主義思想そのものだと思うんですよね。

資本主義って元々はイギリスから輸入された思想ですよね。

この考え方、学問的には面白いと思うんですが、或いは、形而上学的には面白いと思うんです。が、これを自身に落とし込むことって多分未だに多くの文明人が出来ていないことじゃないですか。

早い話、お金を持っている人を見て「いいな」ということがあってもそれが自分にとっての幸せですかって問われれば、そんなことはないわけですよ。負け惜しみって考える人もいるかもしれません。それは確かに。お金を持ったことがない人が、そんなことを言っても真実味にかけますよね。

ただ私の場合、お金、稼いでいました。

同級生のサラリーマンに額を言ったら引かれるくらい稼いでいました。正直、誰にも言っていません。だって私は変わらないけど周りが私を見る目が変わるじゃないですか。だから言わないんですよ、お金が目的じゃない人って。

今は稼いでませんよ。

そこで思ったことは、お金って別にあっても困るものではないけど、たくさんあっても幸せになれるものじゃないなということでした。

(1)所有

“色は無常である。無常なるも用の苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは「私」のものではない。「私」ではない。「私」の本質ではない。正しい智慧をもって,この道理をあるがままに観察すべきである。”(相応部経典。4.1.1)

2020年2月頃に私は全てを手放したんです。

新型コロナウイルスで留学ビジネスが出来なくなって、自身もパニック障害になって、何もかもを失ってしまったんですよね。それこそ、返金で莫大な金が出ていったし、オフィスの契約もやめたので解約料、でも税金は払わなければいけない。外部委託もしていたのでその費用、、、etc。かなりお金が一気に出ていきました。

しかも自分はパニック障害。

コロナで今までの仕事はできない。

絶望の数ヶ月を過ごしました。何度か死のうかなとかも思ったんですけど、そもそも死ぬほどの気力もなかったんですよ。毎日ボケーっと、座ったまま動かず、何も話さず、食べもせず。考えてすらいなかったし、当時のことは記憶にないです。

ってくらいどん底の生活をしていた時に、毎晩、寝る前、母と妹と話をしていたんですよね。うちでは「ミーティング」と言ってるんですけど。

それをしている時だけが幸せで、生きててよかったって思えたんですよ。

そんな風に生きていたら気付いてしまったんですよ。悟ったというんですかね。

私にとって大切なものって、金でも会社でも名誉でも、或いは、自己顕示欲を満たすことで得られる快感でもない。家族だ。家族といる自分だ。だから健康が大切だ。それと、家族に迷惑かけない程度の金だ。

それで全てが変わったんです。身体を壊すまで働いて得た金なんかありがたくない。ぶっちゃけ、激務で1,000万円なんか誰でも稼げるんですよ。

もう全部いらないと悟りました。

もし今これがなかったら、私、今でもタワマンに住みたいとか、性格がゴミでも美人の方がいいとか、家族といる時間なんか無駄、働くほうがまし。みたいなわけ分からないことを言ってたと思うんですよね。

で、結論何がどう仏教なの?かと言うと、それが

“色は無常である。無常なるも用の苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは「私」のものではない。「私」ではない。「私」の本質ではない。正しい智慧をもって,この道理をあるがままに観察すべきである。”

(相応部経典。4.1.1)

これなんですよ。

つまり、拡張自我と言われるものは自分の本質ではない、と。高い車、高いカバン、大きな家、、、成金趣味なそれらのものって、自我とは異なるものなんですよね。

本質では何か。それは今ここにいる自分だけだ、と。

自分とは何か、それは”意識的なもの”でしかないんですよね。

仏教って素晴らしいですよね。

(2)自己同一性

要するに、「アイデンティティ」ですよ。

自分が何なのか分からない。

最近だと、

「自分が何になりたいのか分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」

「自分がなんなのか分からない」

こういう悩み相談多いですよね。

これはつまりアイデンティティの喪失なんですよ。絶対的な自我が存在しないんです。

ただそもそものこの自我という考え方が、西洋的ではないかというお話なんですよね。もちろん仏教にも自我という概念は存在します。ただ「我思う、ゆえに我あり」的なデカルト的なスパルタな思想ではないんです。

これはスパルタだと思いますよ。

だって、何も思わないから皆自分が何なのか分からないんですよ。

現代の教育は、半ば思考を奪い取るためにあるものです。真面目に、なんの癖もなく、好奇心もなく、大人に嫌われないようにと大人になった子供が、自発的に何か思えるわけがないじゃないですか。

考えればわかることですよ。

そんな人々を救うのが、まさに仏教なんです。

自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており,したがってそれ自身の本性,本質または実体といったものは存在せず,空である,と説かれる。 歴史的には,業感縁起,頼耶縁起,真如縁起,法界縁起など種々の縁起説が説かれたが,縁起そのものは仏教史を一貫して流れる根本思想の一つである。

コトバンク

要するに、この世には何も存在せず、ただ空があるだけだ。というお話です。

どうです。

救われませんか?

あなたが何かである必要はないんです。

だってそもそも存在していないから。

あなたが苦しむ必要はないんです。

だってそもそも存在していないから。

じゃあ、この私はなんなの?

何もないのだから、心に従って生きればいいやん。

学校教育では「派」の暗記ではなく仏教の本質を教えるべきだ

学校教育の悪口は一生言えるのですが、手短にまとめます。

派の暗記とか、宗派とか、お坊さんの名前とか一切必要ないから、仏教が本質的に何を言っているのかを教えたほうがいいと思いますよ。

年号とか事件名を暗記して何になるんですか?