内向きな承認欲求ほど面倒くさいものはない仮説【自意識過剰だよ?】

ごじゃっぺコラム
こんな記事です
  • 承認欲求自体は必要である
  • 内向きの承認欲求と外向きのそれ
  • 結論、価値観って人それぞれだよね

今回は、「内向きの承認欲求」についてお話します。

何を隠そう、自分自身、長い間、内向きに承認欲求を爆発させていた系の人間でした。ですので、どういうつもりで言葉を発しているのか、行動しているのか、多少の違いはあれどよく理解しているつもりです。

だからじゃないですが、自分は「内向きな承認欲求」を他人に発揮された場合は

「そうだよね」

「わかるよ、わかる」

と共感を示すようにしています。彼らに塗る薬はありませんで、自分でいつの日か気付く以外に最良の手はないのです。

【欲求に諸悪の根源はない】承認欲求自体は必要である

そもそも最近、承認欲求ばかりが槍玉に挙げられている気がします。私自身の見解ですが、承認欲求自体は悪いものではないと考えています。

承認欲求は、別の言い方をすると「人から認められたいという欲求」になります。

これは「自分の成果であったり、実力を認められたい」という欲求に限定されません。つまり、自分が社会と繋がっている実感を得たいということだと考えています。

人間は孤独が嫌いです。1人で過ごすのが好きな人だって、365日24時間、誰とも話さず、1人で部屋にいることは苦痛になるはずです。スマホもなく、本も音楽もない状態で1年間暮らせる人っていうのは、人類最高峰の想像力と創造力を兼ね備えている人のみです。

1人でいるのが好きな人も基本的に音楽を聴きます。スマホを触ります。SNSを見ます。本を読みます。映画を観ます。このようにして、社会と繋がっていることを実感しているのです。

つまり、承認欲求を、それらを通して満たしているのです。

満たすことができているのです。

承認欲求が外で爆発しているような人々は、それが出来ていない人間です。つまり自分の時間の使い方を知らず、自分が何を好きなのか、何をしている時が幸せなのか、分かっていない状態である場合が多いです。

目立ちがり屋さんと話をしたことがある人なら分かると思いますが、彼らは人間性が薄っぺらいです。「自分のことについて話してください」と尋ねると、表層的な事実もしくは自慢しか話しません。

自分はこう考えている。こういう価値観を持っている。

などという、思考を必要とすることについてはほぼ言及しません。

アイデンティティの喪失が極端な承認欲求を醸成する

つまり自分とは何か。自分の価値が何かわかっていない人間というのは、他者から自分を認めてもらう以外に、自分の存在を社会と繋げてくれるものがなくなります。

だから、彼らは「承認」を求めるのです。

  • SNSでフォロワーを集めようと必死になる
  • 変人ぶって人の注目を集める
  • 身近な人に対して、重すぎる悩みを打ち明け続ける

これらは承認欲求を満たせずに爆発している方の特徴の一部です。

ありのままの自分でいることが出来ずにいます。

そもそもの話、ありのままの自分とは何か、それすらも分かっていない状況です。

なぜ自我を確立できないのか?

自我。つまり、自分とは何か。

これについては多くの人が考えていることだと思います。私自身も常に「自我」について考え続けています。その結果が奇抜な履歴書を作り上げたわけです。しかし私としては、自分の存在意義、生まれた意味を残したい。その思いでピュアに行動してきたつもりです。

今になって、素直なままの自分でも受け入れてくれる人があるし、なんか、それって幸せなことだよなと思えるようになったので、今はあまり自分を追い込まず、思い詰めず、平和に暮らしています。

さて私が考える、自我を確立できない理由をお話します。

これはズバッと言い切れるほど単純なお話ではないんですが、主に以下だと考えています。

  • 絶対正義の存在
  • 絶対悪の存在

多分ですが、自我を確立できていない人の多くが、20歳までに、世の中には「絶対悪」と「絶対正義」があることを叩き込まれています。ちなみに、私自身、そんなものは存在しないと考えている派です。物事に絶対はなく、全てが連鎖しているものと考えている派です。実は少ないです。

絶対正義の存在

自我を喪失している人にとっての絶対正義は、先生か親です。

親に反抗したことがない人、先生とバトったことがない人、いませんか?彼らは基本的に洗脳教育を施され、自我を持つことを禁じられた民です。

つまり、思春期までに「考える」という至高の行為を奪われてしまったのです。

先生が言うことは正しい。

親が言うことは正しい。

そこには1ミクロの「なぜ?」もありません。私は誰に対しても「なぜ?」と言うのが口癖です。だから公務員全般に嫌われていました。彼らは合理性よりもルールを重視し、ルールブックに書いてないことは教えてくれないし、そもそも考えてすらいない存在だからです。

この長きにわたる洗脳によって彼らは自我を失い、自分とは何か。何をしている時が幸せなのか。どうして社会と繋がることが喜びなのかを知らずに生きています。ゆえに、他者から承認を得るよりほかに「生きている」と実感することができないのです。

絶対悪の存在

ちなみに、自我を喪失した人からすると私は「絶対悪」です。

よく子供の頃に言われました。洗脳教育をほどこす親に「港とは遊ぶな」と。実際、私が言われていたのではなく、そういう馬鹿らしいことを言う親が数人おったという話を後で聞きました。

先生に対して、なんで?なんで?なんで?なんで?

と繰り返し質問する私は問題児と映っていたでしょうし、学校というコミュニティでは先生に問題児というレッテルを貼られてしまえば卒業するまで問題児です。私は問題児でした。あ、犯罪をしていたとかではありません。普通に、公務員に嫌われていただけです。

要するに、絶対正義と絶対悪が規定されているから、考えられる幅が少なくなるんです。良いも悪いも自分で体験を通して、或いは、見て触れて、考えるようなものです。彼らは、これは悪い、これはだめ、これはあかんなどと叩き込まれているので、思考することがありません。

結果、自我を失うのです。

【メンヘラが代表例】内向きの承認欲求と外向きのそれ

内向きな承認欲求という話をしたかったのですが、導入が長すぎました。

ここからが本番です。

そして、本番は短いです。

内向きの承認欲求というのは、少し「内弁慶」にも似ています。

要するに、芸能人として成功を目指すわけでもない。キャバクラで働くわけでもない。

でも近くにいる人に、承認してほしくて仕方がない。

1番、面倒くさいタイプです。

必要以上に人からの注目を集めたいなら水商売をやればいい

男ならホスト、女ならキャバクラとかガールズバー。

こういうところで働けばいいと思うんですよ。大抵、彼らはそういった商売を見下していますからやらないんですけど。

プライベートで人から注目を集めようとするので、近くにいる人が疲弊する

必要以上の賞賛、注目を欲しがる人は基本的に交友関係が狭く、恋愛も長続きしません。そりゃそうですよね。という話です。

解決策

金を手に入れて、YESマンで身を固める

結論、価値観って人それぞれだよね

結論、価値観って人それぞれだよねということです。

私、もう別に誰からの注目も欲してないんです。

このブログは毎月2.5万くらい読まれているわけで、累計にすると数万、数十万人が私の文章を読み、或いは、私の写真を見ているわけです。

ぶっちゃけて言いますと、どうでもいいんです。

でも昔はそれが快感でたまらない時期もあったりしました。アンチの人とかがSNSでDMを送ってきたり、匿名の方から誹謗中傷のメールがくることもありました。

それでもフロントマンとして有名になろうと頑張っていました。

でも別にそれ自体、何も幸せではなかったです。それよりも今、タンクトップを着て、思っていることをだらっと述べている時の方が幸せです。階段を降りてリビングに行けば家族がいます。

それ以上の幸せってありますか?

いいえ、ありません。

私は守るべきものを見つけましたし、もう別に世界からの賞賛も注目も必要ありません。

ちなみにブログを更新する理由は、考えてアウトプットすることが好きだからです。あとユーザー数は結果論です。私が面白すぎて、SEOがばっちりすぎて、結果として人が集まっているだけですwwwwwwwwww

すみません冗談です。ではこれにて。