ミスチル/Starting Overの歌詞の意味【こばたけとの決別と誕生】

Mr.Children
Starting Overはこんな曲
  • 決別と誕生
  • まさにStart over(やり直し)
  • 僕らの日常にも潜むモンスターの話
  • REFLECTIONを印象付けた曲

今回は愛すべき名盤「REFLECTION」よりStarting Overを考察していきます。Starting Overというのは古くは僕が音楽に傾倒するきっかけとなったJohn Lennonも歌っていた曲のタイトルにもなっています。

意味は「やり直し」とか「最初から」という意味になります。

たまに「終わりの始まり」とかという訳を見ますが、今回のMr.Childrenの歌詞的に「やり直し」が正しいと思います。

Starting Overの歌詞とファーストインプレッション

歌:Mr.Children
作詞:KAZUTOSHI SAKURAI
作曲:KAZUTOSHI SAKURAI

肥大したモンスターの頭を
隠し持った散弾銃で仕留める
今度こそ 躊躇などせずに
その引き金を引きたい

あいつの正体は虚栄心?
失敗を恐れる恐怖心?
持ち上げられ 浮き足立って
膨れ上がった自尊心?

さぁ 乱れた呼吸を整え
指先に意識を集めていく

僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
そう きっとその光は僕にそう叫んでる

追い詰めたモンスターの目の奥に
孤独と純粋さを見付ける
捨てられた子猫みたいに
身体を丸め怯えてる

あぁ このままロープで繋いで
飼い慣らしてくことが出来たなら

いくつもの選択肢と可能性に囲まれ
探してた 望んでた ものがぼやけていく
「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」
そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

穏やか過ぎる夕暮れ
真夜中の静寂
またモンスターが暴れだす
僕はそうっと息を殺し
弾倉に弾を込める
この静かな殺気を感づかれちまわぬように

今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
こうしてずっと この世界は廻ってる
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
きっと きっと

和久井大学のファーストインプレッション

この曲がなければREFLECTIONというアルバムはここまでファンの間で浸透していなかったのではないかと、僕は個人的に思っています。

もちろんREFLECTIONはどれがシングルになっても不思議ではないくらい全てが名曲なんですが、アルバム単位で見たときに、REFLECTIONがもつ「力強さ」とか「心躍る感じ」というのはこの曲が印象付けたものではないか、と考えています。

それくらいStarting Overという曲は当時のMr.Childrenを表現している曲に聴こえるし、同時に、それでもファンをやめずについていきたいと思わせてくるような楽曲だったのかな、と。

「肥大したモンスター」は僕らの中にも潜んでいると諭してくれる

これがさすがだなと思ったのですが、普通、小林武史さんというデビュー以来お世話になっていたプロデューサーがいなくなるとなったら少しは、自分たちの感情の吐露のような曲になっても仕方ないのかなと思うんです。

普通のミュージシャンの場合、「肥大したモンスター」という言葉は書けても、リスナーが共感できるよには書けないんじゃないでしょうか。

例えば、

  • 自分の中に肥大したモンスターがいる
  • それは虚栄心であり、恐怖心であり、、
  • だからそいつと戦わなければいけない
  • やっと勝てた

という、主観で語られるモンスターが、ありふれた応援ソングのように最後はやっつけられてしまうという本当に陳腐な曲になってしまうような気がするんです。

それが桜井氏に書かせると、そうじゃない。

聞いている僕らにも、「確かに、そんなモンスターが僕の中にもいる」と思わせてくる。やっぱり、楽曲の普遍性への執念というのを感じるし、それがMr.Childrenの最大の魅力なんですよね。

要は誰にでも当てはまる、誰もが共感してしまう歌詞。

スターティングオーバー以外の曲名はあり得ないくらいマッチしている

僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
そう きっとその光は僕にそう叫んでる

この1サビを見て、うわこれ「スターティングオーバーやん」と思わず言ってしまいそうなくらい曲名と歌詞がマッチしているんですよね。

Starting Overという言葉を本文中には使わずに、それを表す。

文豪やん。

仮タイトルは「ノブナガ」だったらしい

信長協奏曲のタイアップで最初作られていたのですが、「これではな〜」ということで没になっていたそうです。これ確かYouTubeでも違法アップロードではありますが、見られる気がします。

定期的に非公開になってるっぽいですけど。

小林武史氏や過去の栄光と決別し、新しいMr.Childrenを誕生させた

追い詰めたモンスターの目の奥に
孤独と純粋さを見付ける
捨てられた子猫みたいに
身体を丸め怯えてる

まずこの2Aを見ていただきますと、桜井さんは自分自身の中に必死で夢をおってきた10代のままの自分を見出しています。仮に、この主人公が桜井さんだとしたらの話ですが。

ロックスターになりたいと頑張ってきて、本当にロックスターになれて、でもそれは実は小林さんという優秀なプロデューサーがいてくれたからこそなんじゃないか?って思ってるんです。

そりゃそうでしょうよ。

ただここでの「捨てられた子猫みたいに 身体を丸め怯えてる」は小林さんに対する悲哀ではなくて、どちらかというと「気付き」のようにも感じるんです。

その根拠が

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」
そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

ここです。

桜井さんは極楽浄土という考え方にかなり理解を示している方だという風に僕は考えていて、要するに彼は「流転」という考え方ではなくて、「浄土」という考え方をしている。と僕は思ってるんです。

流転と浄土の考え方について

間違ってたら申し訳ないんですが、浄土と流転というのは違っていると思います。

悪いことをしたら地獄にいく

良いことをしたら天国にいく

というのはあくまで流転の話。つまり、輪廻転生です。

しかし浄土に還るというのは、いわば「無に帰する」という考え方の方が近いんじゃないかなと思っていて、何かが死ぬと何かに生まれ変わるという考え方は流転。何かが死んだら浄土に還るというのが浄土。

桜井さんはそこからは逃げられはしないだろうと語っているんですが、要するに、人というのはどこかで生まれ、どこかで終わっていて、それが同時にいろんなところで起こっていて、自分もそのダイナミクスの中にいるんだということを言っているような気がするんです。

つまり、「仕方のないことだ」と。

Mr.Childrenはまだ生きているけれど、これも命なのだとしたらどこかで終わっていくものだろう。それは仕方のないことだ。でもまだ生きているのなら、、、、

という新しい出発への決意と覚悟の曲。

Starting Over。

「何かが終わり また何かが始まるんだ」
きっと きっと

誰も悪くないという小林さんへのメッセージにも聴こえる

以上のことから、僕はこの曲が小林さんへのメッセージにも聴こえてなりません。

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