【承認欲求は現代の呪い】幸せになりたいなら地の果てまで堕ちればいい

思うことなど

誰かに認められたいと思うのは当然のことです。誰にだってその欲求はありますよ。でも、同時にその欲求は他人ではなく自分を不幸にするものです。自分が不幸なのに他人を幸せにすることは出来ません。

散々苦しめばいいと思います。自己矛盾を抱えながら、必死に生きていればいつの日かふっと目が覚めるように承認欲求なんて消え去るものです。

幸せに暮らすための演出だったんだと思える日がくるように、苦しめる時に苦しんだ方がいいと思いますよ。

こんな人に読んでほしい
  • 実は自分に自信がない人
  • 自己肯定感が低い人
  • 周りから正当な評価を得られていないと不満に感じている人
  • 幸せになりたい人

「WHY」で読み解く自分の行動の原因や原動力

人は誰しも手に入れたい利益のために動く生き物だと考えています。

例えるなら僕はずっと、「地位」や「名誉」が欲しかった。それに付随して「お金」も欲しいと思っていました。

ただなぜ今それをするの?と聞かれたら僕はいつもこう答えていました。

「世のため、人のため」

例えば僕は22歳で起業をしています。

その時も、「自分は恵まれた環境で生まれ育ったから、今度は多くの人に機会を与えられるような人になりたい。機会均等の世の中を作りたい」と常に口にしていました。

でもこれは辻褄合わせに過ぎなかったと今になれば分かります。僕はそういったビジョンや大義名分を振りかざして、他者からの尊敬や評価を得ることで自分の精神が満たされていくのを、ただ感じていたかっただけです。

結局、誰にも格好つけずに素直に

「なぜ起業するの?」

に対して回答するなら、

「自分の実力を社会に証明したかった。」

「不特定多数の人間から尊敬されたかった。」

「自分が価値のある人間だと思いたかった。」

です。これはあくまで22歳当時の僕の回答です。それから3年経った今、僕が思うことはまた別です。それについては後述します。

ちょっと具体例が長くなりましたが、「WHY」に対する嘘偽りのない回答、心の声というのが現在の自分が欲する利益を的確に表しているのではないでしょうか。つまり当時の僕にとっての利益とは、「機会均等の世の中」ではなく「人々からの賞賛」だったということです。

自分の心の声は、いつでも自分が本当に欲しいものを知っている


自己矛盾。

幸せになれない人というのは常に「自己矛盾」を抱えていると思うのです。なぜ自己矛盾を抱えるのか。それは心の声と、発する言葉の間に矛盾が生じているからであって、故に自分の発言に自分の行動が規制されてしまうからです。

もし素直になれたのなら、仮に他人からどう思われようが自分は幸せになれるのかもしれません。

例えば僕がもし起業した理由を素直に「認められたいから」とか「賞賛を得たいから」と吹聴していたとしたら、本当に社会的に高い地位を獲得していたのかもしれません。ところが、僕は嘘をついていたわけですから、行動は自分が発する嘘に規制されるわけです。

本当に欲しい利益の獲得からは遠ざかる決断をせざるを得なかったわけです。


なぜ行動は発言に規制されるのか「一貫性の原理」


一貫性の原理という概念が存在します。

一貫性の原理とはつまり、

人は自身の行動、発言、態度、信念などに対して一貫したものとしたいという心理が働く。この心理を「一貫性の原理」と呼ぶ。この心理の根底には、一貫性を保つことは社会生活において他者から高い評価を受けるという考え、複雑な要因の絡み合った社会生活での将来的な行動決定においてより簡易に行動を決定することができるなどの要因があるといわれる[1]

Wikipedia

こういうことです。

つまり「WHY」に対する回答が本当に自分が求める利益から遠ざかれば遠ざかるほどに、実は僕たちは不幸になっていくということです。嘘の発言の辻褄を合わせるために僕らは行動をするわけですから、それが自分を幸せにするというのは到底あり得ないことですよね。

欲深い自分を認めてあげることができるのか。

これも重要なポイントになってきます。

社会的には、自己犠牲は美しく描かれることが多いです。しかし実際の僕たちというのはそんなに美しい生き物ではありません。欲にまみれた俗物です。言ってしまえば、心が廃れているわけです。

人よりも良い服を着たい。人よりも良い車を持ちたい。人よりも良い家に住みたい。人よりも多くの評価が欲しい。人よりも多くのフォロワーが欲しい。人よりも、、、、、etc

幸せが絶対的なものであると悟れない段階でいる以上、相対的な幸せを追い求める以外に幸せになる方法はありません。つまり常に人よりも外見上、「良い」とされているものを身につける必要があるのです。

こんな人生には嫌気が差しませんか?疲れませんか?本当に満足できますか?

いいえ出来ません。出来ないとわかっていても、し続けなければならないというのも大変よく分かります。

ではどうすればこの呪いから解放されるのでしょうか。

承認欲求というのは、一種の「呪い」です。

僕も長い間、この承認欲求に苦しまされてきました。そして25歳、やっと解放されたのでどのようにして解放されたのかその経緯をお話します。誰かの参考になればと思います。

承認欲求から解放されるためには「大病を患えばいい」 …は?

僕、2020年にパニック障害を患ったんですよ。で、コロナショックも相まって一時期銀行の残高が1万円くらいまで落ち込んだんですよね。

で、仕事をしようにも「文字が読めない」状況が続いて、取引のメールを読むだけでも嘔吐してしまうくらいに結構参っていたんです。電車も1人で乗れないから、本当に約10ヶ月は常に誰かに付き添ってもらって電車に乗っていました。

何にもできなくなってしまったんです。

僕は自分というのは人から評価されて、人に尊敬されて、人が出来ないようなことをやって退けてこそ生きている価値がある人間なんだとずーっと思い込んで生きてきたんです。

そんな自分が、誰かの支えがなければ電車にすら乗れない。

本当に何度か死のうかと思いました。ちなみに、1人で夜、寝ることも出来なくなりました。そんな時に僕の家族が言ってくれたのが

別に何も出来なくたっていい。すごいことをしていなくても、生きているだけで十分だよ。

家族

こんなニュアンスの言葉でした。

僕はかなり救われました。

何も出来ないゴミ同然の僕が、毎日死にそうな顔で家にいる。それだけでも僕は情けなくて辛かったのに、いや多分そんな僕を見ている家族も辛かっただろうに、それなのにこのようなことを言ってくれて、僕はハッとしたんです。

今まで何をしていたんだろう、と。

お金をたくさん稼いで(ちなみに同年代の平均月収の7倍稼いでいました)、いろんな人から起業相談をされて、SNSでは知らない人からフォローされて、たまにけなされて、まあそれでも僕は評価されていると思い込んでいたんです。

ところが病気をしてから、そんなものって何にもならないということに気がついたんです。

だってお金あっても誰も一緒に悩んでくれやしないし、自分が生きるか死のうか迷ってる時に起業相談なんかされても困るし、人のことを考えてる余裕なんかないし、もうSNSで知らん人から絡まれるのも嫌だし、自分が必死になって追い求めていたものって “無価値” だったんだ、と気付いてしまったんです。

そうして、僕の心から承認欲求がスーーーーーーっと消えていくのを感じました。


大病を患う以外にも承認欲求が消えるタイミングはあるはず


  1. 大病を患う
  2. 落ちるとこまで落ちる
  3. 真正面から自分と向き合う

パッと思いつくところだとこんな感じです。

落ちるとこまで落ちるというのは、まあなかなか現代社会ではあり得ないかな、と思います。なので①が無理なら③がいいんじゃないでしょうか。

具体的に何をするのかということですが、これがすなわち「自分の幸せ」や「自己肯定感」と直結するところです。

それは「継続する」ということです。

最後に、継続することでどうして承認欲求から解放されるのかをお話して終わります。

結論、承認欲求が満たされないのは継続しないから

承認欲求が満たされない人って、共通点があります。

それは途中で投げ出すという点です。

基本的に甘ったれなんですよ。今から僕は過去の自分を否定しますが、もしあなたの気に障ったら許してください。もしくは今、生きててしんどいと思うのなら、参考にしてみてください。

  1. 誰かに認められたい
  2. 人が出来ないようなことをしたい
  3. 出来そうなことに手を出してみる
  4. 思ったより難しい
  5. やめる
  6. ①に戻る

僕の今までの生き方です。

ちなみにやめる時には決まって以下のどれかを理由として挙げています。

  • 向いていない
  • 環境がよくない
  • もっと楽な方法や道があるはず
  • 誰も自分を見てくれない

こんなことの繰り返しでした。

でも今、僕は違います。正直に言ってしまうと今僕は幸せなんです。誰かに「すごいね」と言われるようなことは一切していませんし、もはやSNSもやめてしまったので露出するシーンもありません。

でも僕は自分のなりたい自分になるために毎日を生きているんです。

本当に病気をして良かったと今になって思います。

こうなるために、何が必要だったのか。それは、本当に価値あるものに気付けたからだと思うんですね。じゃあ病気をせずに価値あるものに気付くためには何をどうすればいいのか。多分、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言いまくることじゃないですかね。

いや僕は医者じゃないんで、分からないんですが、いつも幸せそうにしてる人って、ありがとうとごめんなさいを言う回数が多くないですか?

もし自分の周りにいつも幸せそうな人がいたらよく観察してみてください。多分よく言ってると思います。


持ってないものより持ってるものを数える


あと、「持ってないものより持ってるものを数える」というのも効果的だったかと思います。

僕は「ないものねだり王」だったんですよ。常に自分にないものでかつ社会的に評価されるものを欲していました。でもね、もういらないんですよ。生まれながらにして持っているものをひたすら大切にする。そんな生き方が幸せだと気付いたんです。

生まれながらにして持ってるものとは、特別なものではありません。

  • 健康
  • 家族

だけです。

健康がなければ何も出来ません。それはパニック障害を患って痛いほどに分かりました。なのでもう半年間、毎日トレーニングをかかしていません。あとはサプリメントも摂取するようにしていますし、睡眠。夜寝て朝起きる生活をしています。

それから家族。

自分にお金がなくなって、仕事が出来なくなっても唯一僕から離れてくれない人たち、それが家族でした。もはや家族以上に大切にしなければいけない人類などこの世界には存在しません。

新生和久井港の軸はこの2つです。

もうね、誰に認めてもらえなくてもいいんですよ。だって家族がいるから。

あと、僕は承認欲求を手放した代わりに、素直に心の底からなりたい自分と出会うことが出来ました。その自分は、自分を嫌いにならない自分です。

僕はずっと自分が嫌いだったんです。だって優秀じゃないし、努力も出来ないし、そのくせ結果は一流を求めるし、生きてて辛かったですよ。ところが今の僕は自分を嫌いにならない努力をしています。+αで、本当にやりたいことをやる。

今、僕は色々な勉強をしています。

自分がやっていて幸せだと思える勉強。誰かを幸せに出来る勉強。絶えず成長したいと思える領域。これを見つけて、ひたむきに頑張っている最中です。僕の人生とは無縁だった「ひたむき」という言葉が、25歳にしてやっと出現しました。

Twitter、そのほかSNSを閉鎖した感想

そんなわけでTwitterやめたんです。

あとそのほかのSNSも全部、非公開にしています。もう身内だけで、誰に見られてなくてもいいですし、本当にただの思い出を載せるだけの目的で使っています。

なんかかわいそうに見えてくるんですよね。必死になってフォロワー集めようとしたり、いいねを稼ごうとしてる人を見ると。いや過去の自分もそうですけど、なんか「この人、何が幸せで生きてるんだろう」みたいなことを思うようになって、それでやめました。

まあ自分もSNSやってて幸せだと思うことがなかったので。

集客のツールとしては良いですけど、個人的に運用することはもう一生ないと思います。必要ないですから。