【親の愛情とは】母の愛は時間。父の愛は時間ではない。【異論認めます】

思うことなど
親の愛情って何かしら
こんな人に読んでほしい
  • 両親の愛を信じられない
  • 子供への接し方に迷いがある
  • 近々、親になる予定
  • 興味があるトピックだ

このような方に向けた記事になります。

また、結論はタイトルにある通り「母の愛は時間、父の愛は時間ではない」です。異論はいくらでも認めます。

顔出し・本名(本人確認ができるアカウント)の方には積極的にリプライいたします。@misanwakui

「母の愛は時間」の真意とは

母親は専業主婦になってずっと子供のそばにいるべきだ。

という「べき論」を述べるつもりは一切ありません。

では、「母の愛は時間」と僕が語る真意は何か。

それは単に、「僕は母にそばにいてほしい」と思ってしまうということです。

愛情表現って様々ですよね。

言葉で「愛してる」とか「大好き」とか言うのも愛情表現、ハグしたりほっぺにちゅっとかするのも愛情表現です。でも僕はそんなものより、無条件で母の時間が欲しいんです。

それらは一切不要というわけではもちろんありません。

子供の頃であれば、きっと喜んでいたように思います。

でも僕が大人になった今でも、多分子供の頃でも変わらずに欲しいもの、母から受け取りたいものは「母の時間」なんです。もっと言うと、母の時間を独り占めしたいんです。

これマザコンって取る人は多分、日本語読解能力がないのでここでサヨナラしてください。僕のためではなく、あなたにとって無駄な時間になるという意味です。

なぜ僕は「母の時間が欲しい」のか?


これはまさに自分事なので、自分の胸に手を当ててよくよく心の声を聞いてみました。すると下記のような答えが返ってきました。

なぜ、君は母の時間が欲しいの?

  1. 本能が寿命を知ってるから
  2. この世界で唯一、身体が繋がっていた人間だから
  3. もはや自分の半分は母親だから

もっとも興味深かった回答は、「本能が寿命を知ってるから」でした。

そして、もっともリアルに感じられたのもそれでした。


本能が寿命を知ってるからについて


僕らって多分、生まれてから初めて感情を持った瞬間に、或いは、脳が思考を始めた瞬間に「死ぬ」ことを知っていますよね。

例えば、僕らはカブトムシがなんたるかを、カブトムシをみなければ認識できません。

ただ、僕らが全員いつか死ぬということは、その実態をみなくても認知しているんです。不思議と。これは個人的な経験則ですが、僕が覚えている中で最も幼少に経験した葬儀って、5~6歳?とか、おそらく「死」とはなんたるか、その本質を知る以前のことです。

死人を多分その時見ましたが、悲しいという感情は一切覚えていません。

その後でいうと、小学か中学の時です。

つまるところ、僕らは死を目の前にしなくても、言語化できなくても、仮に死人を幼少期に見ても見なくても、自分が死ぬことについては悟っているんです。

これについては心理学か脳科学の論文を参照する必要があります。

これはあくまで僕個人の考えですが、僕らは本能的に自分らが「死ぬこと」を知っているはずです。それが「死」ではなかったとしても、僕らの心臓が有限であること、この身体に終わりが来ることをなぜだか知っているように思うんです。

と、なった場合、最も愛している人の「寿命」が欲しいのは当然ではないですか?

だってお互い死ぬんですよ。それをわかっているんです、お互い。じゃあ何が欲しいですか。限りある時間の最大限を僕にくれ!ってなりますよね。ちょっと飛躍してますが、それが母子関係だと思うんですよ。

でもって、それが母から受け取れる最高級かつ最上級の愛だと僕は思うんです。

僕らは本能的に死ぬことをわかっていて、だから時間の価値を知っている。なので、この世界で最も大切な時間を、寿命を最も大切であるはずの自分に注いで欲しい。これが子供が母に求める愛情。よって、これが母の愛。

「父の愛は時間ではない」の真意について

僕、子供の頃に、特に平日の夜に父親と会ったことはほぼないんです。土日は僕が小学生になってからはスポーツ少年団とかに来てくれてましたし、平日も朝は「行ってきます」「行ってらっしゃい」程度の会話はしていました。

でも「父親 = 家にいる」という印象はほぼないです。

残念ながら、今はリモートワークのせいで毎日いますが・・・。

しかしながら、父親に愛されていないのではないか。と勘ぐったことはありません。理由は簡単です。父親のお金で僕は好き勝手やって生きてきたからです。

つまり父親というものは、少なくとも僕の父親というのは、自分の稼いだお金全額を子供にタダで、ただ血縁関係にあるというだけで渡すような人間です。

でも不思議なことですが、これもまた「時間」なんですよね。要するに、母の時間はダイレクトに目に見えるようにもらいたい。でも父の時間は別に目に見えなくてもいい。父の時間が金に代わって僕の元に届いても不満はない。

「なんか父親をATMと思ってるみたいでいや」

って言う人、いそうですよね。でも違いますよ。

だってお金稼がない父親だっていくらでもいますよね。自分で稼いだお金を子供ではなく別のことに使う父親もいますよね。趣味に使ったり、とりあえず子供以外に使う父親なんか別にたくさんいますよね。

それがATMですよ。

つまり、僕の場合、僕は父親にお金を稼げなどとは一度も言ったことはありません。給料に対して不満を言ったことももちろんありません。全部、父親が勝手に決めた職業で、勝手にもらってきてる金です。僕のものではありません。それを本人がどう使おうが本人の勝手じゃないですか。

だから僕は、父親に金をせがんだことも、働いてくれと頼んだこともありません。

だから父と金の関係について、何か思ったことはありません。

父親が自分の責務として家に金を入れているんです。よって、僕は間接的に父親から彼の寿命をもらっています。

でも働かない、稼ぎの少ない父親の場合、子供や嫁が求めるのは「現金」です。つまり、金を稼いでこいというわけです。これがATMですよ。だって父親と金を直接結びつけてますよね。

金を稼げない男は父親になる資格なし


フィリピンはカトリックなので中絶が許されていないんです。でもシングルマザーは多いんです。婚前交渉も禁止されているはずなのに。

この最大の矛盾についてはさておき、要は貧困は貧困を生みます。

幸い日本は中絶が合法ですから、お金を稼げない場合、中絶をした方が案外結果的には1人の人間を苦しめずに済む可能性はあります。当然、貧乏だからといって不幸になるという訳ではありません。

単に可能性として、不幸者を出すことを失くせるというだけです。

でもって、レイプを除く性交渉は合意のもと行われるわけです。一方が責められるべきではありません。ただ事実として、女性に負担が大きいのは周知のことです。ですから、性教育は非常に重要です。

それからお金の話も重要です。最後、これらについて話してこの記事を終わります。

性教育とお金の教育について

日本では「汚いもの」として扱われるTOP5には必ず入るお金とセックスのお話です。が、リアルに人が生きていく上で最も重要なのってこれらですよね。

まず女性は上述しましたが、中絶の際の負担が大きい。

これは性教育に入ります。ではなぜ中絶する必要があるのか。それは子供1人を育てるために必要なお金を知らないからです。或いは、今ならネットで20歳までにかかる平均費用とか出てきます。が、リアリティは全くありません。

理由は簡単です。

投資の経験がないからです。良くも悪くも、時間給に慣れている我々は2,000万円稼ぐ方法を時間で計算しがちです。でもちょっとお金の教育を施せば、「単価」という概念が浮上します。なので、諸々を掛け合わせれば時間とは一切無縁の世界でお金を稼ぐ思考法を得られるわけです。

ブログもそうです。僕は毎日1記事書いています。

時間でいえば1~3時間程度。時給はもちろん出ません。

ただ、同時に働かなくてもお金が入ってきます。つまりこういった「お金稼ぎ」に関する知識を有していれば、あとはやる/やらないの2択に持ち込めるんです。

今の日本は、学ぶ/学ばないから始まります。これが大問題です。

新時代の愛情表現としての「お金」と「性教育」


僕は親の前でセックスの話をすることを躊躇いません。理由は、親もしたことがあるし、24歳になった男がしたことがないと考える方が不自然だからです。お互い経験のあることなら、水泳と同じです。

水泳って下手すりゃ死にますよね。

セックスも下手すりゃ死ぬわけです。

じゃあ、教えるべきことは同じですよね。

また、お金についても同じです。僕が今より若い頃に思ったことは仮に僕が親になったら、子供に予算を与えようということです。同時に増やし方も減らし方も教えます。目安としてこの時点までにこの金額をもっていると好調だということも伝えたいと思いました。

理由は、僕は家の財務状況を一切把握してないからです。

ちょっと変な話ですが、本当は300万の車買えるのに、知らずに遠慮して8万円のスクーターを買ったら損した気分になりませんか?だって性能としてはいうまでもなく車の方がいいんですよ。しかも、300万円払えないわけじゃないんです。

この辺について、僕は真剣に悩みました。

僕がアメリカの大学に留学したいといったらどうなるのだろう、、、とか。

もし自分に予算の権限があったらいろいろもっと慎重に選んだかもな、、、とも思ったりするわけです。

なのでお金の運用については教えたい。

しかも僕は男なので、どうせ直接的な時間の愛は不必要なわけです。ならば僕は間接的に教育費などとして子供に時間を注ぎたいという考えです。

終わりに:これは全て個人の見解です

上記は全て僕個人の見解です。異論は認めますし、認めて終わりです。

話し合うつもりもありません。

以上。

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