好きでも同じことの繰り返しは飽きる【継続するコツは無駄を楽しむこと】

思うことなど
同じことの繰り返しは誠に面倒くさい。飽きる。やめたくなるな・・・
こんな人に読んでほしい
  • 代わり映えのない日々にうんざり
  • 同じこの繰り返しって不幸じゃね
  • デジャヴなん?人生って。
  • 飽きた

今回はこのような方に向けた記事になります。

【事実】ブログの毎日更新に飽きました

僕がブログを始めたのは2018年6月です。それからほとんど間を開けずに現在に至るまで更新を続けてきました。途中、サイトを売却したり、コロナの影響で手をつけなくなったサイトなどもありますが丸2年間で恐らく、1,000記事以上は書いています。

このブログに関しても、アーカイブをみていただければ分かりますが、今年の4月から猛烈に更新を続けています。ピーク時は1日平均2記事を30日近く続けた計算になります。

で、結論を申し上げます。

飽きました。

ブログ更新に飽きた理由 *考えられる限り

  • マネタイズ記事が完成した
  • 内部リンクもほとんど出来ている
  • リライトもほとんど終わった
  • 毎日更新3ヶ月目、書くことがもうない
  • 書きたいこともほぼない
  • YouTubeや昆虫採集にハマっている
  • 放っておいても金が入ってくる

今考えられる理由はこんな感じです。

ブログをやったことがない人であれば、

「毎日ブログを更新することの何が難しいんだ、情けない」

「こっちは毎日通勤電車に乗って出社して見たくもない上司の顔を見て金を稼いでるんだ!甘ったれるな!」

と言うかもしれません。

ただ一般に、転職市場において価値が高いのは僕です。

さあこんな無駄話はさておき、「同じことの繰り返しに飽きた時の対処法」あるいは、「同じことの繰り返しに飽きたらどうするのがベストか」について考えていきます。

芸術や学問は無駄の極み、もしくは金持ちの道楽


ズバリ、継続するコツをお話する前に芸術や学問について今一度考えてみたいと思います。僕は常々、このように思っています。

芸術とは人間世界における無駄の極み。学問は金持ちの道楽。


芸術は無駄の極み。その心は?


人間の営みに「芸術」は不要だからです。芸術がなければ死ぬ人はいません。

時を遡ること、まだこの世に「音楽」という概念がなかった時、既にそこには音楽がありました。人々は、言葉(或いは、それに相当するコミュニケーション)を通じてグルーヴを感じ、時には自然の音からリズムを感じ取り、心を癒していたのだと思います。

或いは、ドレミという音が存在しない時代にも既に「ドレミ」の音はありました。

要するにそれらは全て人間が便宜上、名前をつけたまでです。お金も時間も、全て人間の便宜のために発明されたものです。音楽について言えば、生活における便宜のためではなく、体系化のためです。

グルーヴを体系化し、民族或いはコミュニティ内でそれを楽しめるようにした。もしくは、受け継げるようにした。それが今の音楽へと繋がるわけです。(*これは僕の個人的な解釈です。)

よって、音楽というものはそれ自体が存在しなくても、我々は勝手にグルーヴやリズムを自然の中で見出すことが出来ます。わざわざバッハの音楽をありがたがって聴く意味も必要もないのです。

そのほか、絵画にしてもそうです。

よく景色をみた時に「うわあ、絵のように綺麗」という人がいますが、逆です。

景色と類稀なる感受性と技術をもった人間がたまたま出会い素晴らしい絵が生み出され、その美しさを抽象的に認知している人間が「絵のように美しい」と形容するのです。

つまり、絵画というものも、実は存在しなかったとしても我々はそれを自然の中に見出しているのです。

結果、芸術というのは合理性を欠いた、人間生活にとって不必要な産物です。僕は芸術を愛していますが、合理的に考えた時に、芸術が必要かと問われれば、それは否です。

仮にお金がなくなり、餓死寸前の時にゴッホのひまわりを持っていたことを思い出したとしましょう。可能なら米と交換しますよね。そういうことです。


学問は金持ちの道楽。その心は?


高等教育を受ける必要のある人間、或いは、受けた教育の価値を世界に還元できる人間というのは、恐らく世界の数%です。よって、学問は金持ちの道楽です。

お金があるから大学にいくのです。

就職するために大学にいくのです。

好奇心のために大学にいくのです。

みんながいくから大学にいくのです。

どれを取っても、この世界に取って、或いは、人間生活に取って合理的な理由は見出せません。結論、学問は金持ちの道楽です。

宇宙の謎が解明されてどうなるのか。

別にどうもなりません。また、向こう数百年かかっても解明されないことの一助になるための研究。これも別に今である必要はありません。

言うなれば、最も人間社会にとり有意義だとされる科学も「チリツモ」なわけです。何も発見せずに死んでいく科学者もいるわけです。もはや大半なわけです。これを道楽と言わずになんといいますか。

何も発見しない科学者の価値は、趣味で昆虫採集している人と何ら変わりはありません。

合理性を超越した無駄こそがこの世界を美しくしている

科学博物館にいけば分かると思います。これまでの人間の叡智。あれらを見て感動しない人などまずいません。或いは、画廊に行ってみてください。琴線に触れる絵画。

小説を読んでください。言葉1つ1つがダイアモンドよりも価値があるように思えてくるのです。実際に価値があります。

この世界では、無駄こそが美しく、また無駄こそがこの世界を美しくしているのです。

合理を超越した誰かの情熱が、この世界に生まれたことの喜びを感じさせてくれるのです。

無駄を愛せる人間こそが、誠に人間。

同じことの繰り返しに飽きる理由は、「無駄に思えてくるから」


同じことを繰り返していると

「こんなことやってて意味あるのかな」

「何でこんなことしてるんだろう」

「これって無駄じゃね」

このような雑念がふつふつとわいてきますよね。

もしそれが誰かに愛される無駄ならば、継続しなければいけません。しかしもしその無駄が、合理性を超越しない、情熱もない、単なる生産活動の一貫、或いは、消費活動の一貫。どう考えても無駄。それならば、やめてokです。

仕事なら退職しましょう。

話は、もしそれが誰かに愛される無駄の場合です。

心ゆくまで無駄を楽しみ、味わい、そして小さな変化を加えよう


同じことの繰り返しには飽きたものの、これを止めるのはもったいない。というか、やめたくはないけど飽きた。というケースは非常によくあると思います。

僕がまさにそれです。

でも僕は今日もこのようにブログを更新しているわけです。

なぜか。それは、これが例え無駄だったとして、僕は僕が書く文章(芸術かつ無駄の極み)が好きだからです。そして、飽きた時、僕は味変をします。

これまではいかにもブログらしい、SEOに評価される文章を書いてきました。しかし今回の記事では、SEOどころか読者も最後まで読む気を無くしてしまうような文章を書いています。

これが僕が続けるために加えた「変化」です。

こうして少しずつ変化を加えて、つまり実験思考を持って取り組めば全く同じ作業でも違うことに思えてきます。

人は目的によって、同じ行動でも違う行動のように錯覚してくるのです。

と、少なくとも僕は考えています。

なので、僕は今後も変化を加えつつ、ブログの更新を続けます。

ということで、同じことの繰り返しに飽きた場合はこの2択です。

  1. それが単に生産活動や消費活動の一環ならやめる
  2. 誰かに愛されることなら、変化を加え、実験のように楽しむ

以上、終わりです。

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