
- 自己肯定感が低い
- 自己嫌悪に陥りがち
- 自分のことが苦手
- もうそろそろこんな生き方を変えたい
今回はこのようなお悩みを解決していきます。
19歳で自己愛性障害と言われた僕の場合
ちなみに、「自己愛性障害」って聞くと、自分を愛して止まない障害とか極度のナルシストって勘違いされることが多いんですが、実はその真逆なんです。
ありのままの自分を愛せずに、理想の自分を愛してしまっている状態です。
理想の自分を愛しているだけの時は自信満々で傲慢極まりないですが、現実の自分のしょぼさを認知してしまった時に耐え難い苦痛と自己嫌悪に襲われる症状です。
そんな僕が実践するのが「自分を好きになるより、自分を嫌いにならない生き方」です。
ご参考にしてみてください。
「自分を好きになる努力」は諸刃の剣

結論として、、、自分を好きになる努力って無駄かなと思っています。
もし今、その努力をしていたら申し訳ないんですが、ハッキリ言って無駄だと思います。
なぜかと言いますと、自分を好きになる努力って裏を返せば『0/100』の考え方だからです。
自分を好きになる努力は、自分を好きになるか/自分を嫌いになるか。の2択しか結末がないんです。
人が2人いたら絶対に優劣を付けたがる
人が2人いたら、人間は絶対に比較をしてしまいます。
他人と他人、自分と他人。いかなる場面でも、絶対に人は無意識のうちに人を比較しています。
自分と他人を比べるのをやめたい。
と思う人はとても多いと思います。
でもそのために「自分を好きになる努力」をしても、絶対に劣等感は拭えません。
理由は、その「努力の根拠が補償行為だから」です。
補償行為とは・・・
補償行為とは、書いて字の如く、「補い、償う行為」のことを言います。
例えば、合コンの場を想像しましょう。
- A : 「今日は絶対イケメンをゲットするぞ。私は可愛い!」
- B : 「今日は絶対お持ち帰りされたい。私は可愛い!」
- C : 「AもBも可愛いから私はお笑い担当にまわろう。」
女性が3人もいれば、必ずCのような人は1人はいますよね。
このCの行為が補償行為です。
自分のルックスが他人に劣っている分を、キャラによって補填しようとしています。これを補償行為と言います。
そのほかにも、
- 浮気をした男性が突然妻に花束を買って帰る
- 奢ってもらったからと上司の愚痴を延々に聞く
- ブサイクだからおちゃらけて落ち要員になる
などが代表的な補償行為ですね。
つまり、自分と他人を比較して自分を好きになろうとする努力って、相対的であり、その努力の根拠は「補償行為」にあると僕は思ってるんです。その時点で、その努力は無駄かなと思います。
自分を好きになったのではなく、自分より劣っている人を探す努力と言った方が近いんじゃないですかね。
絶対的に自分を好きになれるのは「世間知らず」か、「馬鹿」だけ

誰とも何とも比較をせずに、絶対的に自分を好きになれる人って、ただの世間知らずか馬鹿だけだと僕は思ってるんですよね。
地元で可愛いと言われていても東京に出たら大概自信をなくすし、学校では一番走りが速くても全国大会とかに出たらもっと速い人がいるわけですよね。
そうしたらもう別に自分のことを絶対的に好きではいられないですよ。
だって自分より可愛い人たくさんいる。
自分より足が速い人がたくさんいる。
人って絶対に優劣付けたがりますからね。2つ以上の何かしらがあれば絶対に比較する生き物ですから。
これはもう無理なんです。比較しないことを諦めることは死ぬまで無理です。
だからそもそも絶対的に自分を好きになれるのは、世間知らずか馬鹿だけなんです。
- 小さい町を出たことのない田舎者。
- 自分を正しく認知・評価できない馬鹿。
彼らだけが絶対的に自分を好きになれるんです。
つまり、自分を好きになる努力とは、自分より劣っている人を探し続ける努力とほぼほぼ同義だし、一生、他人と自分を比較をし続ける人生なんです。
自分を嫌いにならない生き方 = ゼロサムゲーム

さて、ここからが本題です。
自分を好きになる努力 = 自分より劣っている人を探し続ける努力
だとするなら、
自分を嫌いにならない生き方 = プラマイ0の生き方
です。
自分を好きになるためには、多くの要素が絡み合ってきます。
自分が今いる環境、自分と関わる人、自分の能力、自分と他人を比較した時の能力の差、容姿の差。これらに妥協点を見つけて、或いは、あるところでは人より優越感を感じてこそやっと自分を好きになれるわけです。
しかし、自分を嫌いにならない生き方に登場するのは、自分だけです。
自分を嫌いにならない生き方は、自分が自分を嫌いになることをしなければいいのです。
自分を嫌いにならない生き方のコツ
めっちゃシンプルです。
自分と約束をして、実行する。
よくよく考えてみてほしいのですが、自分の人生に他人が入ってくる意味が分からないんですよね。自分の人生の中心には常に自分がいなければいけない。
でも社会や、諸々の関係が発展していくにつれて、どんどん自分の人生の中心に「常識」とか「ルール」とかが割り込んできますよね。
もっといえば、自分より優れた他人や自分より劣っている他人なども自分の人生に登場して、自分の立ち位置を決めたり、変えてきたりするんです。
これって誰の人生なんですかね。
だから僕が実践する「自分を嫌いにならない生き方」はかなりシンプルなんです。
- 登場人物:自分だけ
- ルール:自分と約束をし、必ず実行する。
これだけで、人は自分を嫌いになることはないんです。
反対に好きになることもありません。でも好きになる可能性は秘めています。しかも誰との比較もなしに、絶対的に自分のことを好きになる自信を持てる可能性は秘めているんです。
人生は、ゼロサムゲームです。
良いことも悪いことも全て諸々込めて、プラマイ0であればいいんです。
そして人間は、0の状態が一番心地良いんです。
標語:ゼロを生きろ

自分を好きでも嫌いでもない。ゼロの状態。
実はこれが一番、人間にとって快適な生き方だと僕は思っています。
ゼロ。
自分を嫌いにならない努力、生き方は、人生をゼロの状態に導いてくれます。そして、自分を嫌いにならない努力をしている時点で、自分に無関心であるとも違います。
自分を好きになる必要も、愛する必要もありません。
ただゼロの状態で生きることが、心を穏やかにしてくれます。
と、信じて今日も僕は自分との約束を守ります。
終わり。