【倫理が死に、法律が生まれた】安楽死賛成派の僕がその是非を問う

人間

今回は、医療、法律、倫理、哲学などの様々な側面から語られる「安楽死の是非」について、語って参りたいと思います。

安楽死の是非について、僕が具体的に初めて考えたのが森鴎外の「高瀬舟」を読んだ時だったと記憶しています。

確か18歳か19歳の頃でした。

僕はその当時から安楽死には賛成しています。賛成派の僕が、なぜ安楽死に賛成するのかを語ります。あとは、安楽死について考えるきっかけになる小説や映画などもご紹介していきます。

自己紹介遅れました、和久井港(@misanwakui)です。

安楽死の是非
  • 安楽死と法律
  • 安楽死と倫理
  • 安楽死と生命の自己決定権

この辺がこの記事のメインとなります。

日本では何故「安楽死」は認められていないのか

まず日本人あれば、誰もが日本では安楽死が認められていないことをご存知だと思いますが、実は「認められていない訳ではない」ということをご存知でしたか?

つまり法律で明示的に容認している訳ではありませんが、以下のようなケースでは安楽死が罪に問われないといいます。

積極的安楽死が認められる場合

積極的安楽死とは
積極的安楽死とは、致死性の薬物の服用や投与によって死に至らしめる行為です。

一般的に他人(一般的には医師)が行う場合は下記の四条件を全て満たす場合に容認される(違法性を阻却され刑事責任の対象にならない)。

  • 患者本人の明確な意思表示がある(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)。
  • 死に至る回復不可能な病気・障害の終末期で死が目前に迫っている。
  • 心身に耐えがたい重大な苦痛がある。
  • 死を回避する手段も、苦痛を緩和する方法も存在しない。

消極的安楽死が認められる場合

消極的安楽死とは
本人または、親等が近い家族の明確な意思で延命治療を拒否し死に至らしめる行為です。

一般的に他人(一般的には医師)が行う場合は下記の四条件を全て満たす場合に容認される(違法性を阻却され刑事責任の対象にならない)。

  • 患者本人の明確な意思表示がある(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)。
  • 患者本人が事前意思表示なしに意思表示不可能な場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族(より親等が遠い家族や親戚は親等が近い家族に代わって代理権行使できない)の明確な意思表示がある。

ちなみに、患者本人の意思ではなくその家族による判断で治療が中止された場合は殺人罪が成立します。

安楽死は何故だめなのか?のまとめ

日本では、安楽死は法律で明示的にOKされている訳ではないが、いわゆる安楽死という形式で人が死ぬ場合が容認されている。

ちなみにこれは法律のお話であって、まだ倫理の話は出てきていません。

僕がタイトルに「倫理が死んで、法律が生まれた」と書いたのはそういった都合です。

僕らは法律で許されていればOK、法律で処罰されるならNGという判断基準を持って生きています。それが悪いことであるという訳ではなく、倫理という観点から是非を問うことがなくなって、人は機械化されたんじゃないかと僕は個人的に考えています。

結論として、法律としては上述した通り条件が整えば、安楽死を認めざるを得ない。処罰することは出来ないというのが、現在の法律です。

「安楽死」を倫理的側面から考える

そもそも倫理とは何か?という疑問があると思います。

この場では、倫理を哲学の一部として考えると話が早いです。要するに、「何故〜は良いのか?」「何故〜はダメなのか?」を筋道を立てて、論を練り上げるということです。

「何故、人を殺してはいけないのか?」

ちなみに法律では「人を殺してはいけない」とは明示されていません。人を殺した場合、処罰されるとしか書いてないんです。

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

刑法199条

何故人を殺してはいけないのか、論理的に説明できる人いますか?

反対に、「何故人を殺してもいいのか」を論理的に説明できる人はいますか?

多分今あなたはものすごく不快感を覚えていると思います。

「決まってるだろ。人を殺していいはずがない。」

 僕もそう思います。でも説明できませんよね。

例えば

人権侵害だからでしょう。

サンプル回答A

という答えがあるでしょう。

しかしこれは、憲法の話であって、倫理的な答えにはなっていません。

自分だって殺されたくないから、人を殺すのもダメ。

サンプル回答B

じゃあ、殺されてもいいと願っている人は、人を殺してもいいという論理も成り立ちます。

例えば、死刑になりたいから人を殺したという供述、ニュースでもたまに見ますよね。自分が殺されたいから人を殺した。これがまかり通る論理です。

ちょっと頭がいかれてきそうなので話を変えてみます。

「何故、死刑は許されるのか?」

人を殺してはいけないのだとしたら、何故死刑は許されるのでしょうか?

彼らも同じく人を殺した人だから?

そういった法律があるから?

残念ですが、僕には全て論理的な答えには思えません。

じゃあ死刑のボタンを押す人は死刑にならないのですか?

法律がなければ彼らは人を何人殺しても罰せられないのですか?

死刑が許される理を話せる人はいるのでしょうか?

哲学者トマス・ホッブズのリヴァイアサン

ウルトラハイパーざっくり言ってしまうと、自然法についてのお話です。

彼が何故人を殺してはいけないのか?という問題について、面白いアプローチで論じています。

曰く、

人殺しもレイプも強盗も、原理的には不正ではない。

何故なら各人は自然のままの状態で生きる権利(自然権)を所有しているから、欲望のままに生きていいはずだ。

しかしそれではあまりにも世の中が怖すぎるし、買い物にだっていけない。いつレイプされてもおかしくない世の中で生きていたら気が狂ってしまう。

そこで人が平和に暮らすために「自然法」が導き出されます。しかしこれは強制力がありません。各人が努力をしなければいけない法です。

よって、より威圧的で人工的な力を設置する必要がある。それが「国家」である、と。

国民は国家に身を委ねて法律を制定し、警察を組織し、人々が平和に暮らすように努力しましょうよ。

という理です。

つまり、レイプも殺人も強盗も不正ではないということです。ただ平和に暮らしたいから、国家を形成し、法を制定しましょう。

「安楽死」を倫理的側面から考えたまとめ

殺人、レイプ、強盗は不正ではない。もはや人が生まれながらにして自然権を持つのだから欲望のままにしていいはずだ。

しかしそれでは、怖すぎてやばいから国家を作ってルールを決めようよ。というお話になったということです。

つまり、国家の根源は「恐怖からの逃亡」だったということですねかね?

「安楽死」と生命の自己決定権について

安楽死と似ているところに、自殺があります。

自殺は苦しくなった人が、もう生きていたくないということで死ぬことを言いますね。基本的に。

つまり、これを安楽死として取る場合「積極的安楽死」になる訳です。

じゃあ、自殺は罪にはならないのだろうか?という話です。

そもそも命は誰のものなのか?

自分で命を処分する行為、自殺は処分されない。

だが、自殺に関与すると処罰されるというのが現状です。

さてそれが何故なのかが「命は誰のもの?」という問題と、生命の自己決定権という話題に繋がっていくはずです。

人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

刑法202条

これについてどう説明をするのか?

あなただけのものではないという考え方

自殺は違法である
自殺はそもそも違法行為である。しかし、自殺するまで追い込まれていた人に責任を問うのはあまりにも酷である。但し、違法行為に加担したのだから幇助は処罰される。

命はあなたのものですが、あなただけのものではないという考え方もできます。よって、あなたの判断だけで命をどうにかすることは不正であるという説明です。

自殺は違法ではない
自殺は違法ではないが、好ましくない。それを手伝ったので処罰。それによって生命の軽視を否定する考え。

憲法は「死」の自由を認めていない

人がよりよく生きていくために基本的人権の尊重を保障しているので、「死」の自由を認めていると説明することは困難だとされています。

ちなみに、植物人間は生かしておくべきか?

という問いを、絶対的生命の尊重と人間の尊厳という対立構造で論じられることがあるようですが、まだ決着がついていないようです。

この辺りに関して、議論するためには芦部の憲法を教養として読んでおくべきかと思います。

「安楽死」といえば森鴎外の高瀬舟

昔深夜に放送されていた乃木坂浪漫という番組です。

乃木坂のメンバーが順番で名作の抜粋を朗読していくというもので、これでもし森鴎外の高瀬舟に興味がわいたら是非読んでほしいです。

ちなみに、森鴎外は東大医学部を出て軍医を経て小説家になったという変人です。

上野の不忍に、今はホテルになっていますが、彼が住んでいた森鴎外邸というのがありまして、僕はたまにそこに行ってました。

あとは田端の芥川邸跡地とか、三鷹の太宰ミュージアムにも行ってましたね。

そのほか、安部公房の「箱男」

安部公房も東大医学部を卒業しています。

旧成城高等学校(現在の成城大学)に安部公房が通っていたこととか、僕にとってはちょっと嬉しい出来事でした。まあ僕は英文科でしたが。

映画「世界一キライなあなたに」、そのほか

最もすぐに思いつくのが「Me Before You」ですね。邦題が「世界一キライなあなたに」という映画です。

四肢麻痺になった男性と、彼のお世話係になった女性の恋物語ですね。で、最後に男性が安楽死を決断するという、なんとも考えさせられる映画です。

ただちょっと、話は逸れるのですが、この映画で出てくる女優エミリア・クラークのブリティッシュ訛りが異常で僕はアクセント酔いをしました。

お前それ本気か!?

ってくらいブリティッシュで、TOEICとかYouTubeで聞くブリティッシュとは一線を画していて割と衝撃だったのを覚えています。

ミリオンダラー・ベイビー

女性と男性の非情な愛の物語なんですが、前半はまさにロッキーのような心燃え上がる映画で、後半に突然、安楽死でバーンという、衝撃作です。

割と当時炎上した作品らしいです。

この機会に是非みてみてください。

最後に僕が安楽死に賛成する理由について

ここまでかなり多くの側面から「安楽死」について話してきました。が、どれも僕の意見ではありません。ただ事実や物語を紹介しただけです。

中には解釈も混じってはいますが、ピュアな僕の賛成意見を述べていなかったので最後にざくっと話します。

01・残された人間に地獄を見せたくない

まず、植物状態、四肢麻痺、痴呆症。これらの状態で僕が生き続けたとして、誰が一番悲しい思いをするのか?

誰が一番地獄を見るのか?それは間違いなく家族です。

だから、そうなった場合は僕は安楽死を選びます。

02・価値のない命なら尊厳を選びたい

これは非情ですが、自分事の場合、自分が機能しない置き物になったのなら、尊厳死を選びたいです。

人として、終えるべき時に命を終えたい。

03・「延命」と「選択」に疑問がある

そもそも、「延命」と「命の選択」に疑問を抱いています。

命を延ばすこと、命を延ばすか終わらすかの選択肢が与えられていること。

これらはもう人間の所業ではないのではないか。という疑念も僕は抱えています。だから、いつから人間って神になったのだろうかと常々考えています。

人間が人間の命を操る

狂気であり異常であり、傲慢であり、不快です。

ただ命に執着するのも事実です。だから延命は受ける。でも上述したように、価値がないなら尊厳死を選ぶ。傲慢ですよね。こんなこと言ってる時点で。

わくみ
以上、安楽死についてでした。

倫理が死に、法律が生まれた。

ずっとそう思っていましたが、倫理が生きるために法律が必要だったのかもしれません。

終わりです。