【経営者失格】パニック障害になって初めて気付いた自分と現実

こんにちは、和久井港(@misanwakui)です。

2020年2月3日、電車で帰宅しているときに突然激しい動悸とめまいに襲われました。

「このままでは死んでしまう」

発狂しそうになる恐怖を抑えて、次の停車駅まで必死に深呼吸を繰り返していました。

電車を降りてすぐに自動販売機でポカリを買い、しばらくはベンチに座って風を浴びました。そうすると、さっきよりは動悸はおさまり、めまいもなくなり、歩けるようになりました。

しかしもう電車に乗るのはこわい。

結局、50分くらいかけて歩いて帰宅することにしました。

ずっと自分じゃない人間を生きていた

今日まで自分が語ってきた夢のうち、本心から出た言葉はいくつあるのか。そう考えると、多分、一つもないような気がします。

「こう言うべき」もしくは「こうあるべき」というべき論に支配されていました。

目の前の困っている人より、世界の大きな問題に取り組んでこそ立派な男だと思っていました。精神的に未熟で、人生経験も浅い自分が、何を語っても、それは自分にとっては嘘でしかなかったんだと思います。

虚像

僕はこう考えました。

常にポジティブで、夢を語っていて、猛烈に行動していて、人生に一点の曇りなしという理想の自分像を自分で作り上げて、その像にすがって生きていたんだと。

虚像です。

僕はずっと自分で作り上げた自分の虚像を応援していただけでした。その虚像が崩れかかり、精神が拠り所を無くしたんだと思います。

19歳で自分でビジネスをすると決めた頃から、自分の虚像が崩れないように、誰かに見破られないように、自分自身を騙し続けるために、本当に必死でした。

行動と自分の気持ちが全く噛み合っていなかったんだと思います。

時々、自分は明らかに生き急いでいる。もうどこかで立ち止まって休みたい。

そう思うことも多々ありました。でも、こうなるまでそれが出来ませんでした。

頑張っていない自分を許せず、夢を語っていない自分を認められず、常に誰かにすごいねと言われていなければいけないと思う自分でした。

もう限界だったんだと思います。幼い自分が作り上げた虚像、偶像崇拝がもう和久井港という実在する人間の気持ちでは追い付けなかった。

内向的な馬鹿正直ものが社会で生きていくために

僕は子供の頃、かなり内向的でした。

正直、自分では感じていますが、今でも内向的です。

少しここで僕の過去の話をしたいと思います。

抜け出せない快感

僕は運動神経が実はよくて、小中まではいつも徒競走では一等でした。

小学生の頃って、足がはやいというだけで人気者になれましたよね。

僕もその例に漏れず、足がはやいというただそれだけでクラスで注目される存在になってしまったんだと思います。そしておそらくは、それが快感だったのでしょう。

人から頼られる存在であること、人から注目を集める存在であること。つまり、人から認められる存在であること。

僕は潜在的に常にそうあることを求めるようになってしまっていたんだと思います。

道化

人から認められる存在。

僕は、社会は冷たいものだという風に思って生きていました。今も街を歩けば、同じ人間同士が互いに無関心で、どこかへと歩いています。

その疎外感が僕には耐えられませんでした。

誰かと繋がっていないと、誰かに歓迎される人間じゃないと、誰かに喜んでもらえる人間じゃないと。そうやって僕のアイデンティティは喪失していき、「虚像」にすがるようになったんだと思います。

僕は内向的で本当に馬鹿正直ものでした。

多分今もそうなんだと思います。でも、社会で生きていくには、嘘をつけるようにならないといけない。

強くならないといけない。罪悪感なんて感じてたらいけない。だってそうしないと、何かに飲み込まれそうな気がしていて、不安で、まともに生きてられないような気がしてたんです。

19歳でビジネスをしようと決めたのも、今となって考えれば、本当に自分がそうしたかったのかは不明です。

社会に認められる人間、誰かに歓迎してもらえる人間でいるためにはもうそうするしかなかったのかもしれないです。

大学には馴染めず、大学を辞めればまともな就職先などないという固定観念もありました。そんな自分が救いを求めたのが起業だったのかもしれないです。

パニック障害になって自分に残ったもの

パニック障害になって、自分に残ったものは自分が今まで求めていたものとは真逆のものでした。

自分が求めていたものは、名誉やお金、まさに社会が定義した「成功」そのものでした。

でも電車に乗れない、メールすらまともにさばけなくなった自分に残っていたのは、夜中まで話をしてくれる家族、「お前はまだ若いんだから」と勇気づけてくれる会社の仲間、この話を聞いてすぐに電話をくれる友達でした。

19歳で自分のビジネスを作って大経営者になると決めてから5年が経ちました。

僕は本当に全てを投げ捨てて生きてしまっていました。

1人で寝ることもできなくなった自分のそばにずっといてくれる家族に、自分はこれまで何かしてあげられていたんだろうか。

何度も謝る僕に、謝ることはないと言ってくれる仲間に、僕は何かしてあげられていたんだろうか。

心配して電話やメッセージをくれた友達に自分は何かしてあげられていたのか。

本当に自己中心的に、自分だけが「成功」を追い求めて、そして、自分の心には無関心で突っ走ってきてしまっていました。

人生で初めて本当のことを話せる

もう完全に虚像が崩れて、なってはいけないと思っていた自分になってしまった今でも、まだ優しくしてくれる人が身近にいて、自分は24歳にして、人生で初めて本当のことが話せるようになりました。

誰も僕に「すごい人」になって欲しいなんて望んでいなかったこと。

僕が「すごい人」になりたかったのは、そうでなければ人に認めてもらうことが出来ないと思っていたからです。

でもここ数日はずっと家族と一緒にいて、言い方は悪いけど、これまでの自分が「しょぼい」と思うような日々を幸せに生きていて、それが自分にとってもすごく幸せに感じられて、これまで生きてきた時間ってなんだったのかと。

心が常に今になくて、自分の体や行動とかけ離れたところにあって、自分の心はそれに追いつこうと必死で、「もう疲れた」という声も無視して、それでよくもまあ24年も生きてきたなと逆に思います。

一切泣かなかった

昨日、数十年ぶりに声を出して泣きました。

映画を見て感動して泣いたり、そのようなレベルではなく、もう声を出して泣きました。

「たまこに会いたい」

母親と話をしていて、最後に、そう口にしたら涙が止まらなくなりました。

たまことは僕が昔付き合っていた女性のことで、確かその振られた当時もほとんど泣かずに、仕事仕事仕事とまるで失恋などなかったかのように振る舞っていました。

そういう消化してこなかった不安とか悲しみとかも、多分もう一気に出てきてるんだと思います。

まとめ

正直、自分がこんな風になるとは思ってもいませんでした。

でもこうなっても自分は今生きているし、これからも生活を続けることになります。

もう格好よく生きようとか間違っても思わずに、シンプルに好きな人と好きなことができるように生きていたいと思うようになりました。

自分のことですが、まだ分からないこともたくさんあります。心と体が一致していくようにこれから様子を見ていくしかないような気がします。

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初めまして、和久井大学(通称:UMW)学長の和久井港です。UMWは、2019年に開設され、3学部3学科から構成される人文社会科学系の総合大学です。在籍する学生数からすればそれほど規模の大きな大学ではありませんが、文芸・経済・社会学の分野で優れた人材を輩出している格式高い大学です。これからも当校では、「剛毅木訥」「独立自尊」「臥薪嘗胆」の心を持つ人間を育む為に弛まぬ努力を続けて参ります。