【社会人で金髪はやばい】人の見た目が決める印象の割合は9割以上

こんにちは、和久井大学学長の和久井港(@misanwakui)です。

今回は少しこれまでの和久井大学とは少し毛色の違うお話です。そう、毛色という言葉通り、髪の毛の色についてお話したいと思います。

この男は髪の色1つとってもここまでうるさく喋れるのかと感心していただいて構いませんし、ドン引いていただいても構いません。

真面目腐った自分が嫌いになった

まず僕は最近髪の毛を染めました。第一形態をご覧ください。

さすがにこれでは”ヤバイ”ということで、翌日カラーしに行きました。第二形態がこちらです。

ちなみに、元々はどうだったかというとこんな感じです。

だいぶイメージ変わりませんか?どの僕が1番イケメンですか?

どれでもイケメンって?そう言ってくれるあなたがいるから僕はブログを続けることができています。ありがとうございます。

さて、本題に入りたいと思います。

なぜ僕がこんなにも一気に見た目を変えてしまったのか。変えてしまいたくなったのか。

それは一言でいえば、「真面目腐った自分が嫌いになった」からです。

僕はもともと不真面目だった訳ではありません。むしろずっと真面目だと思います。真剣に自分の人生について考えるからこそ高校も中退するし、大学もほとんど通わずに中退しました。

ちょっと理解が追いつかない方も多いと思います。なので少し説明させてください。

学校に行く。授業に出席する。宿題をやる。そうして卒業する。

僕はこのフローの中に”主体性”を見出すことが一切出来ませんでした。確かに、将来医者になるためには医学部を卒業する必要がありますし、教員になるにもやはり教職課程を修了する必要があります。

しかしそれ以外の人って、なぜ自分が学校に通っているのか。なぜ自分がその授業に出ているのか。なぜその宿題を終わらせるのか。一度でも考えたことがあるでしょうか。

僕は中学の頃からずっとそんなことを考えて生きていました。厨二病なのかもしれません。尾崎は確かに好きです。

しかし常に考えたいことは、そして考えていることは”自分はどうしたいのか”です。

自分はこうなりたいからこれをする必要がある。自分はこれをしたいからこうするんだ。こうやって常に”主体的に”ずっと生きてきました。

これのどこが真面目なのか。それは他人に自分の人生を決めさせていないことです。他人や過去の知らん人が決めた常識に自分の人生を決めさせないところです。

正直に言いますと、他人が決めた常識にしたがって生きる方が楽です。

波風も立たないし、逆境に陥ることもありません。でも自分の人生は誰かの人生とは違います。あなたはそう生きたのかもしれないけど、僕はそう生きたくありません。それに、もしあなたのように生きても時代的背景やあらゆる要素によって、最終的にあなたのようになれるとも限りません。と僕は思います。

年金が良い例です。毎月支払っておけば60歳で定年退職したあと毎月お金をもらえます。でも今は違います。だから年金は払った方が良いというのは、結果的に今60歳でもらえている人の一意見にすぎません。

さて、ここまでお話して「真面目腐った自分が嫌いになった」とはどういうことなのか。

楽で生ぬるい惰性に流されてしまう日々

それは楽をしようとしていたということです。楽はできればしたい。でも楽していいところと、ダメなところがあります。TOEICは簡単な試験です。だから良い点数を取得しておいた方が後々楽できます。

良い大学に入っておくと後々楽です。なので良い大学に入学することは良いことです。

ではよくない楽とは何か。

それは何も考えずに、波風が立たない方に流されることです。

波が立っているのは、誰かが波を起こしたからです。僕は常に波を起こす人間でいたい。そう思っています。誰かが起こした波に流される人間ではいたくない。

僕は誰かが起こした波に流されて、ぷかぷか浮いて、波を起こす人間になることを諦めようとしていました。真面目腐っていたんです。

コトラーなんか読んで、マーケティング戦略なんか考えて、部下を持って。

真面目腐ろうとしていたんです。遊び心も何もない。ただの常識人になろうとしていたのです。

そんな自分がいやで、とりあえず髪を染めました。

まあ正直、自分でも思いますが意味不明です。高校生の夏休みでもあるまいし、なんで24歳にもなった自分が、しかも仮にも会社経営者である自分が髪を染める意味が、よく分からない。

だけど真面目腐ろうとした自分に対して波を起こすことはできたのではないかと思います。好奇心旺盛で、それが止まらなくて。毎日新しいこの世にないものを生み出そうとしていた自分が、ここにきて常識人になろうとしている。

そんな自分が嫌で、髪を染めたのでした。

誰かが決めた「普通」に懐疑的でいたい

ここまでお話した通り、自分は他人や知らん人が決めた常識や普通に収まって生きることを「楽している」ととらえています。正直、自分はそんな生き方に憧れています。

出来ることなら楽したい。普通に、平々凡々と暮らしたい。でもそれでは自分が生きている意味がない。

僕は、またこれ頭おかしいと思われるかもしれませんが、使命を持って生きています。それを成し遂げるために生きてる自分が、こんなだらしないことでいいのか?いや、だめだ。

僕は「普通」には懐疑的です。なぜなら、「普通」はカビのようなものだと考えているからです。

カビになってしまっては、カビキラーでも使わない限り取り去ることはできません。誰しもにこの「普通」というカビが生えてしまっていると考えています。

僕は子供の頃から問題児でした。僕にとって「普通」や「常識」はただの観念でしかありません。

懐疑的でいたいんです。それは果たしてどうなのか。世界を見ると、日本の普通が普通じゃないことはすぐに分かります。郷に入っては郷に従えの精神も分かります。

誰にどう思われても、僕は果たしてその「普通」が自分に適応されるべきか、しても良いものか、或いは、本当に有益なものか、それを考えて生きていたいです。

見た目が相手に与える印象

人は見た目によって人を判断することが多いです。これは僕もそうです。

或いは、性格や生き様は顔に出る。あながち嘘ではないと考えています。

それから、印象はとても大切だと思います。見た目で人を判断するなとは子供の頃から言われていますが、「金髪で顔面タトゥーまみれ」の人とは仲良く出来る自信がありません。たとえ彼が良い人でも、その見た目にしたい価値観の人とは仲良く出来る自信がないです。

多分今となっては、僕のことを理解できない人は多いでしょう。24歳で会社持ってて髪染めてて、そんなのあり得へん。うさんくさい。そう思う方は多いと思います。

じゃあそういった方は、いくら僕が真面目でも多分気は合わないと思います。

なので、もう別にいいです。僕は自分の印象を自分が支配します。

人は自分が思うほど自分を見てない

あと、人は別に自分に関心はないです。

買い被りすぎなんですよね、人って。

今日1日で、具体的に何人のことを思い出し、その人について考えましたか?

僕は正直、3人だけです。あなたも多分それくらいだと思います。

1人は母親です。1人は仕事仲間です。1人はお世話になってる会社の社長です。

僕の周りにはたくさんの人がいますが、考えたのはこの3人だけです。

でもこの3人が僕を考えたかは不明です。

こんなもんです。人は人と会い、話し、いろいろするのに、こんなもんなんです。だから別に僕が金髪にしたって、それを考える人はほぼいません。

だからいいんじゃないですか。好きな仕事して、好きな見た目して。なんでそんなに他人を気にして自分に嘘ついて生きるのか。

そんな必要は全くないです。

まとめ

ということで、終始何を言ってんのこの人と思った方も、確かに、、、と思ってしまった方もいると思います。

ひとつ言えることは、

頭おかしい・不合理だ・ダサい・意味不明

これほどまでに聞こえの良い言葉はありません。なぜならそれはあなたが、誰かと同じではないことを他人に証明してもらえている証拠だからです。

髪色でしか自分の個性を発揮できないのか!

と怒られたことがあるひともいると思います。でも、そんなことではないんです。もっと自分の内面に敏感でありたいし、あって欲しいし、そして何が1番しっくりくるのか。最小のリスクで検証出来る方法は何か。

僕は今回髪を染めてよかったと思っています。

以上読了ありがとうございました。次回の記事でお会いしましょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

初めまして、和久井大学(通称:UMW)学長の和久井港です。UMWは、2019年に開設され、3学部3学科から構成される人文社会科学系の総合大学です。在籍する学生数からすればそれほど規模の大きな大学ではありませんが、文芸・経済・社会学の分野で優れた人材を輩出している格式高い大学です。これからも当校では、「剛毅木訥」「独立自尊」「臥薪嘗胆」の心を持つ人間を育む為に弛まぬ努力を続けて参ります。