【ネグレクトの解決策】育てることが辛いならいっそ静かに捨てればいい

こんにちは、和久井大学学長の和久井港(@misanwakui)です。

今回は少しセンシティブかつシビアな内容について私が考えることを綴っていきたいと思います。まず、タイトルですが、こんなタイトルを見た多くのまともな親が「嫌悪感」を抱くと思います。

おそらくですが、私の母親はこのタイトルを見つけたらすぐに私に注意の連絡を入れてくるはずです。

しかし、人の話は最後まで聞いてください。今回のブログでは、私のTweetを元に話を進めていきたいと考えております。※この記事ではネグレクトを「育児放棄」という意味で使っています。

今日3歳児を結構長い時間抱っこしてたんだが、ジム通ってたとき以上に腕がパンパンになった。こんなこと毎日やってる母親ってどんだけ強いんだよ。そりゃ母親にはかなわないわけですね。

@misanwakui

という感じです。実は、先日友人の母子に協力してもらって1日育児体験をさせてもらっていたんです。で、その時に子育てについていろいろなことを思ったということが、この記事を書こうと思ったきっかけです。

シンプルに子育ては辛い

言葉って漠然としていて、いつでも嘘を孕んでいて、本当に不確かなものです。だから子育ては辛いといえば、辛くない!幸せだ!という反対意見を述べる人もいると思います。

1日、育児体験をさせていただきましたが、はっきり言って辛いですよ。辛くないなんて嘘です。でも、辛いってあくまで主観的で狭義な意味合いが強いですよね。つまり、辛いという言葉はネガティブなイメージが優位にあります。

だから、辛くない!と言いたくなるんだと思います。誤解が生じないように、端的に言うなら、「子育ては非常に辛いこともある反面、それ以上の喜びや愛に満ちている。」ということだと私は考えています。

子育ての何が辛いのか

子育ての何が辛いのか。実際に1日で認めることができた辛い要素は具体的には以下の通りです。

  • 抱っこし続けて腕が辛い
  • 言葉が通じ合わないから辛い
  • 泣かないで欲しい時に泣くから辛い
  • 可愛すぎて辛い

抱っこし続けて腕が辛い

まずはこちらです。シンプルに肉体的に辛いです。私が今回育児を体験させていただいたのは3歳の男の子だったんですが、まだまだ甘えん坊でずっと抱っこを求めてきていました。私に懐いてくれていたので大変嬉しかったし、抱っこをして歩いている時などは超細心の注意などを払うわけですが、腕はパンパンです。

母親の腕が太いのって必然的で、なんかこれをきっかけに全母親に腕が太いことを誇りに思ってほしいと思いましたね。

本当、すごいと思いましたよ。私よりも身体の小さいママが泣き言1つ言わずにずっと抱っこして、それを365日ですからね。もう本当に、尊敬に値します。

言葉が通じないから辛い

今回、その男の子(以下、まるちゃんと呼ぶことにします。)に「先生」と呼ばれていたのですが、必死になって私に何かを伝えようとするんです。もう3歳なので簡単な言葉は喋れるし、身の回りの説明はできていたように思いますが、それでもまだまだ私にとっては謎な言葉はたくさん話していました。

正直、諦めることもできたんですが、必死に話しかける子供をシカトするのは、それは大人としてやってはならないことですよね。

特に私は英語を使って仕事や生活をしている訳ですが、まだ初心者だった頃に人に自分の英語を笑われたり、聞くそぶりすらすしてくれなかったら完全に激萎えしてたと思います。

そんな思いもあり、私はそういったことはしたくなかったんですが、聞こえないのも事実なんですよね。これは辛かったですよ。理解してあげたいのに理解できない、このもどかしさは多分、ずっと続くんでしょうね。

まずは言語。次は思春期とか、なんかいろいろ経て、20歳過ぎたあたりから親子の本当の会話が始まる気がします。

泣かないでほしいときに泣くから辛い

泣かないでほしい時っていえば常に泣かないでほしいとは思うんですが、例えば映画の劇中とか、食事をしている時とか、割と自分の好きなことをしている時に泣かれたりすると辛いですよね。親なんだからそんなことは覚悟しておけって言うかもしれませんが、そんなことを覚悟して親になる人はいないと思います。

いざそういう状況に遭遇して、初めてそれらを覚悟できる親になるんだと思いますよ。あとは、もうどうしても起こってしまうことなので、不可抗力的に、子供が泣いても仕方ないと思えるようになる。という感じではないでしょうかね。

可愛すぎて辛い

まだ3歳なので説教しても多分分からないだろうし、それでもなんとなく自分は悪いことをしたって思ってくれればいいんですが、正直、自分はちゃんと叱ることが出来るのだろうかという疑問が生まれました。

まあ1日しか一緒にいない人に叱られても恐怖症になってしまうかと思うので別に叱ろうとしてもいないですけど、とにかく可愛いんですよ。

まあこの辺はまだ1日なので分かりませんが。

ネグレクトになる原因

以上が、1日育児を体験した私が思う育児が辛い要素です。最後の可愛すぎて辛いというのはさておき、(1)肉体的に辛い、(2)自由がなくなる、(3)コミュニケーションにおけるストレスといったところかと思います。

育児行動の発現とネグレクトの原因

妊娠時、プロラクチン分泌が少ない母親から生まれた子は将来ネグレクトになる可能性が高いが、プロラクチンを投与したネグレクトの母親から生まれた子は、将来ネグレクトを回避できる。

http://www.takasaki-u.ac.jp/n_top/28464/h

高崎健康福祉大学の教授がネグレクトの原因を解明したそうです。

曰く、プロラクチンというホルモンが少ない母親の子供が母親になった場合、ネグレクトになるということです。これはあくまで科学的にはそういうことである可能性があるということを意味しています。

人はどうも「科学的根拠」とか言われると「うっ」となる傾向がありますが、科学に終わりはありません。科学的に言えば、「科学的に正しいこと」とは、「今のところはまだ反証されずに残っている仮説」に過ぎません。この考え方は、カール・ポパーが提唱した反証可能性に基づいています。

ということで、一方では正しいかもしれない科学的アプローチの他に、一方でもまた正しいのかもしれない哲学的アプローチ、2つから考えることが大切だと私は考えています。

ネグレクトは繰り返す仮説

ま、結果的に科学がそれを証明してしまう訳だし、それに頼ることは悪いことでも何でもないんですが、人間は考える葦であるとも言いますし、個人的に考えますと、ネグレクトは繰り返されているのではないかという説を唱えます。

例えば、私が1日育児体験をしていたとき、しきりに考えていたことは「俺の親ってどう遊んでくれたっけな。」「俺の親だったらどうするんだろう。」ということでした。

私は幸いにも、度が過ぎるくらい両親に愛されて育ちましたので、自分が子供の頃の両親との思い出もたくさんあります。例えばプールに行ったら親父は何をしてくれたっけとか、母は俺が泣いてたらどうしてくれたっけとか、悪いことしたらどうなったんだっけ、とか。本当に、ストックがたくさんあります。

ただ、全てを同じにする必要もないなと自分では感じたので、それは適宜自分が正しいと思うことを主張することもありますが、結局そういうことなんじゃないのという仮説です。親にしてもらったこと、されたことを自分が親になってもそのままするんじゃないのん〜。です。

「自分が正しいと思うことを主張する」

子育てって本当に難しいなと思ったのが、親の独善が子供にとっての普通になる訳ですよね。本当に怖いな、と。ある意味では洗脳ですよ。

洗脳じゃないって言ったって、その「正しさ」はあなたが考える正しさであるという時点で独善的じゃないですか。そして、この世界には絶対的正義がありません。だから、もう誰も否定することはできない。子は親に洗脳されるんです。

リベラルに洗脳される人、社会一般の常識に従えと洗脳される人、様々ですが、結果的に、そういうことです。

私は断じてネグレクトを許さない

本記事のタイトルに逆行することを言いますが、私はネグレクトを断じて許しません。軽蔑します。まず、私には理解ができません。先ほども言いましたが、私は両親にかなり愛されて育ったのですが、だから両親のことが好きという訳ではないですよ。仮に、例えば育児放棄されていたとしても私は両親のことが好きだったと思いますよ。

普通に考えてみてください。何も1人では出来ない子供が頼れるのって親だけですよね。その親が社会的に見ればどんな人間だろうが、子供にとっては親なんですよ。

「子供は親を選べない」マジ同情

ちょっと生々しい話をしますが、完全にネグレクトの知人がいます。その親子の会話を聞いたり、子供の表情をみていると正直いたたまれなくなります。

親に気を使って発言する子供。その気遣いに一切気付こうとしない親。自分のことしか考えていない親。親のことばかり考えている子供。

それでもその子供は親のことが大好きなんだと思います。別に親がその子供を嫌いと言っている場面に出くわしたこともないし、そもそも私はその親とそんなに仲も良くないんですけど。

基本的に会いたくないですね。子供の前でその親を弱めたくないし、でもそのうち我慢できなくなりそうなので会わないようにしています。

育てることが辛いならいっそ静かに捨てればいい

なぜこのタイトルにしたのか。ある意味では本当にそう思っているからです。

ネグレクトによる殺人事件はたまに日本のニュースでも見ますよね。殺すくらいなら捨ててやれよと思うんです。

よくある話で、虐待されていても親のことが好きで、親が逮捕されることが心配で虐待を黙っているとか、たった一度優しくされただけで、それをずっと忘れられずに親のことを優しいと思っていたり、虐待のニュースではよく聞く話ですよね。

子供のために、子供を捨てた方がいいんじゃないかと思います。捨てるというと語弊がありますので、言い方を変えれば、「親なので、自分から手放すことで子供を救ってあげてはいかがでしょうか」という感じですね。

今回、1日育児体験で思ったことですが、やはり子供は親のことが好きですよ。今回のお母さんはネグレクトなんてことはまずありませんが、あくまで第三者という目線で子育てに参画して思ったことですね。

それではまとめます。

まとめ

「育てることが辛いならいっそ静かに捨てればいい」

私の意味していることを理解していただけたでしょうか。

読了ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

初めまして、和久井大学(通称:UMW)学長の和久井港です。UMWは、2019年に開設され、3学部3学科から構成される人文社会科学系の総合大学です。在籍する学生数からすればそれほど規模の大きな大学ではありませんが、文芸・経済・社会学の分野で優れた人材を輩出している格式高い大学です。これからも当校では、「剛毅木訥」「独立自尊」「臥薪嘗胆」の心を持つ人間を育む為に弛まぬ努力を続けて参ります。