【結論】弱さと甘さと優しさと、紙一重だが全ては受け取る方が決めること

こんにちは、和久井大学の和久井港(@misanwakui)です。

タイトルですでに結論を言ってしまっていますが、その論拠であったり、この記事が、多くの皆さんが「優しさ・甘さ・弱さ」について考えるきっかけになったら、と思います。

まず優しさといえばですが、この年齢(23歳)になった今だから言えることですが、私にとって世界で一番優しい人は私の母親です。

大学生くらいになるまではしょっちゅう喧嘩もしていましたし、まあ基本的に私が言うことを聞かなすぎる子供だったからですが、今では母親の言うこと全てが優しさに思えて仕方がありません。

これに対して

「これ本当に優しいっていうの?いや、なんか違くね?」

を「甘さ」、「弱さ」をからめながら、完全に俯瞰して冷めた目で語っていきます。

優しい人と優しい人であろうとする人

世の中には、2種類の人間がいます。

「優しい人」と「優しい人であろうとする人」です。この2種類の人間について、違いを明確に言語化するのはとても難しいことなのですが、とりあえずやってみますのでしばしお付き合いください。

優しさとは

私はそもそも、優しさとは「人に気付かれない程度のもの」という認識をもっています。優しいことをした人からすれば確かに「気付いてよ!」とも思いそうですが、大抵の場合、優しさには多くの人が気付けないまま時間が過ぎるように思います。

例えば電車の中で、

「ここどうぞ!」

と譲るのは確かに優しさのようにも思えますが、それよりも無言でその場を立って、座って欲しい人の前をサーっと通りぎてアピールすることの方が優しさのように思えてしまうのです。

この例だと、優しさの度合いについての話になってしまいそうですが、とりあえず優しさなんて基本的にはそんな程度のもので、人が認知できるほど大そうなものではないのではないかというが、まず一つの持論です。

多分ですけど、「ここどうぞ」って言われたその人は自分が老人として認識されているのだという自我に目覚め、急に恥ずかしくなり、ある人は、それによって自尊心を傷付けられるかもしれないですよね。特に人の目に敏感な日本人にとって、それはなかなか好ましくない状況なのではないかなと。

「優しさ」に見えるもの

あくまで私個人にとっては、さっきの電車の「ここどうぞ」の例は、「優しさに見えるだけのもの」なのではないかと思います。

わかりません。本当に、単にガサツな不器用な人間が、相手がどう思うとか何も深く考えずに「ここどうぞ」と言っている場合があります。それはそれで優しさなのかもしれませんが、心に染み渡る優しさではないというか、なんか、「優しさ」として認知されている「形骸」なのではないかな、なんて思ってしまいます。

受け取る方としては、同じ親切なわけですから、それがいちいち優しさか何かなんてことは考えないと思いますが、それを俯瞰して、冷めた目で見てると、まあそんなものなのかな、という感じです。

「優しさ」に気付ける「優しさ」

一方で、「優しさ」に気付けるのもまた「優しさ」なのではないかと考えています。

例えば私がこれまでに1,000回以上観ているALWAYS三丁目の夕日という映画は、「優しさ」のかたまりのような映画です。

茶川先生が淳之介を追い出すシーン、なぜ茶川先生が追い出すのかを理解しながらも絶対に出て行こうとしない淳之介。

そのほかにも、茶川先生が「心配させるな!」と淳之介を叱りつけるシーンなど。

優しさの宝庫的映画なので、ぜひみなさん観てください。あれで泣かない人はいないと思いますし、私が強制的に観させて泣かなかった人もいません。

で、何が言いたいのかというと、相手がどんな意図でその発言をするのか、その行動をするのか。それを理解し、相手の真意(優しさ)を汲み取る能力もまた「優しさ」がなせる技なのではないかと思います。

つまり、殴られた。うわ、こいつは優しくない。まあ現代において、自分の子供でも殴る人はいませんからね、普通にビンタとかでもいいです。なんですかね、ビンタする人間って、イコール優しくない人間なんですかね。

まあビンタしてる時点で、その人間が感情的な人間ってのは分かりますし、そんな勘違いされるようなことをするより、もっと上手に人に嫌われずに教え諭す方法もあるわけですよね、だからまあビンタは反対ですけど。

言うことを聞かせるためにビンタする。これは暴力ですよ。結果としてはまあ暴力なのかもしれないですけど、一般的にみれば。ただこれを完全に個人間の話とすれば、相手が暴力的な意味でビンタするのか、否かくらいは分かりそうなものですよね。

まとめると、それが暴力なのか優しさなのか、あるいは、それを優しさと察知できる優しさが存在すると、私は考えています。

「優しさ」と一緒くたにされがちな「弱さ」

優しさとすごく似ているもので、「弱さ」というものがあります。

この弱さは一体なんなのか。それは、「優しさ」を与える側の弱さです。それがつまり、優しさとされるのか、甘さとされるのか、受け取る方によって変わりますし、受け取り方もまた様々だと思います。

例えば、相手を振るのがかわいそうだから好きじゃないけど付き合い続ける。まあ、向こうから振ってくれればラッキーかな。みたいな状況ってよくありませんか。

これって、一部では優しさといわれることがあります。要は、相手のことをかわいそうと思ってしまう自分が優しいという、与える側の勘違いですよね。

ただこれは優しさではないですよね。むしろ、生殺し。楽にしてあげるのが優しさな時だってあるわけじゃないですか。

結局は自己防衛なんだよ

で、まあなぜ相手を楽にしてあげないのか。

それは、自分が決断をするリスクを背負いたくない。自分がした決断によって、自分がデメリットを被るのがいやだから。なんですよね。

これは与える方が勝手に「優しさ」とラベリングしただけの「弱さ」です。優しさというラベルを剥がすと「弱さ」と書いてあります。

「優しさ」と紙一重な「甘さ」

弱さとほとんど似ていますが、「甘さ」というのもしれっと優しさのふりをしてそこら中に溢れかえっています。

まあ分かりやすいところで言えば、キャバ嬢にブランドのカバンをあげたりですか。あとは、犯罪を繰り返す友人を放任したり、なんですかねあと、頑張らなくていいよみたいなこと言ったりですか。

結局、誰にとってメリットが向くようになっているのか

甘さって結局、最終的に与える方が得たい利益を得るためにやっているようなことじゃないですか。

まあ、「弱さ」が自分を守るという利益のためにやっていることなら、「甘さ」は自分にとってのメリットを追求するためにやっているという感じですかね。

まあ、自己防衛もメリットの一つではありますが、もっと広義でのメリットですね、この場合は。

優しさ・弱さ・甘さの見極め方

これは正直非常にハードなことです。

相手との関係性もみなければいけないし、ずーっといろんなことをあらゆる角度から見続けていると、なんか冷め切った人間になってしまいますよ。

一番幸せなのは、無知であることを知らないことです。自分がそれを優しさだと思えば優しさだし、それが弱さと思えば弱さなんです。そういう生き方ができる人が一番幸せです。

ただ、見極め方の話になると、それは難しいですね。

病気じゃないかと思いますけどね、ある意味。ただ諦めずに言語化するとこうなります。

その会話に参画している人たちの力関係を見ながら、一人一人の発言が誰にどういう意味を持って行われたものなのかを追いながら聞いていくというか、あとはもうなんかキッとする瞬間がありますよ。

まるで「優しさの権化だよ私はニコニコ」みたいな感じで、自分のメリットのために発言する人がいますから。

優しさを理解するには「優しさに関する教養」が必要

んで、最も大切なことは、優しさとは何かを常に考え続けることです。

優しさとは何かを考えていない人の優しさの概念と、それを考えまくっている人の優しさの概念ってまるで違います。

人は大いなる勘違いをしています。

優しさは生まれつきとか、性格だとか言いますが、確かに生まれつき優しさ要素を多く生まれてきた人はいると思いますが、そんなものは磨かなければ育たないんですよ。

優しさはなぜ、スポーツとは違うのか。優しさはなぜ、音楽と違うのか。ということです。

優しさも訓練しなければ身につかない

優しさも訓練しなければ身につきませんよ。だって、人の数ほど優しさの表現があるわけじゃないですか。この人の優しさはこういった姿形で現れる、この人はこう、この人はこう、、、、みたいな感じで、優しさを理解するには教養と訓練が必要なんですよ。

で、まあ優しさって人に気付かない程度のものだと思うんですけどね。

その優しさに気付ける優しさを身に着ける訓練です。

まとめ

ちょっといろいろ話が飛んだりしてしまいましたが、まとめるとこんな感じです。

  • 優しさは気付かれない程度のもの
  • 優しさに気付ける優しさがある
  • 優しさに似た弱さは自己防衛のため
  • 優しさに似た甘さは自分の利益のため
  • 優しさを身につけるにも訓練が必要

まあ、こんな感じでまとめてまいりましたが、結論はやはり「受け取る方が決めること」という感じです。

決して与える方が「これは優しさなんだよ」とは言えないということです。まあ言ってもいいけど、無意味だよということです。

以上、「優しさは結局受け取る方が決める」でした。

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初めまして、和久井大学(通称:UMW)学長の和久井港です。UMWは、2019年に開設され、3学部3学科から構成される人文社会科学系の総合大学です。在籍する学生数からすればそれほど規模の大きな大学ではありませんが、文芸・経済・社会学の分野で優れた人材を輩出している格式高い大学です。これからも当校では、「剛毅木訥」「独立自尊」「臥薪嘗胆」の心を持つ人間を育む為に弛まぬ努力を続けて参ります。