【考えてみた】世界平和は世界の人々が同じ方向を見ることではない

こんにちは、University Of Minato Wakui(通称・和久井大学)学長の和久井港(@misanwakui)です。

今回は「世界平和」について考えてみましたのでそれをここに綴ってまいります。

実はわたくし、和久井港は14歳くらいの時にJohn Lennonを知ってから、ずっと自分は将来的に「世界平和」を実現する人間になろうと考えておりまして、9年が過ぎた今、「世界平和とは何か」の後ろ姿をチラ見することができました。

ていうか、John Lennonを知ってから彼らの使う言語をダイレクトに理解したいと思って英語の勉強も始めたんですよね。John Lennonを知っていなかったら自分の人生どうなってたんだろうと、それくらい影響を受けて育ちました。

世界平和は世界の全員が自分の意思で別々の方向を見ること

結論から言ってしまえば、23歳の私が考える世界平和の実態は

世界の全員が自分の意思で別々の方向をみている状態

だと思います。

地球の輪郭に沿って、様々な人種の人々が手を繋いで立っている写真とか、武器を放り投げて笑顔でみんなが集まってくる映像(ミュージシャンのPV等に使われる)がいわゆるイメージしやすい世界平和であることは間違いないんですが、それってある種の力が働いた上でしか起こり得ないことだと思うんですね。

で、ある種の力が働いて地球の人々がそれに向かって動き出す、つまり、多くの人々が一斉に同じ方向を見ている状態というのは、独裁政治と根本的には変わらないですよね。

それと変わらない力が働いているということになりますよね。

それで戦争が発生しないとか、餓死する人がいなくなるというならそれは確かに素晴らしいことなんですけど、そんな世界って正直、なんか胡散臭くないですか?

人間が生きていて、血の通った世界であればそりゃ戦争もあるし、餓死する人だっていると私は思うんですよね。

そりゃもちろん、戦争がなくなればいい。餓死する人がなくなればいい。とは思います。それ自体を否定している訳ではありません。

ただ、そういった世界、つまり画一化された世界に生きる自分の息苦しさは想像に容易いんですよ。

それから、やっぱりどう考えても胡散臭いですよね。画一化によって、思想の自由というか、思考方法の自由までなくなるという可能性も十分にある訳で。

それは飼いならされた人間であるし、世界平和というより、むしろ人間の絶滅といった方が合っているかもしれない。

「自分の意思」「別々の方向」について

私はそもそも人間に与えられた最大の特典というか、自分が人として最も持っていて嬉しかったものが「思考」なんですね。

普段から思考することが好きですし、思考したものをこういった場で表現することも好きです。で、個人的に、「思考」こそが人間だと思うんです。

「人間は考える葦である。」ってパスカルさんが言ってたけど、本当その通りだと思うんですよ。考えているから人間なのであって、つまり生きているのであって、考えない人というのは姿形は人間なのかもしれないけど、私としては、そいういった人々は死人であるという認識なんですよ。

「自分の意思」とは、つまり自分で考える自由があるということですね。「思想の自由」とかってよりも、「思考の自由」っていう表現の方が私の言いたいことには合っている気がします。

それから「別々の方向」を向くということは、思考を表現することが出来る社会であって、で、しかも周囲の人間もそれを認めているということになります。

なんか自分の発言が遠回しの宗教の批判とか、政治団体の批判をしているという風にとられると嫌なんですが、基本的に、全て自分の思考による意思をそのまま表現して、それが社会でちゃんと認められることが理想だと言っているだけです。

まあ、それが難しいんですけどね。

世界平和って実はもう実現されているんじゃないか説

人間関係の話だけいえばですが、もう私が定義した世界平和ってある程度実現しているような気がするんですよね。

あるのは、飢饉とかテロとか紛争とか、それって全部ある国家におけるただの社会問題であって、例えば事実としてそれが発生しているとはいっても、ほぼほぼの人が自由に思考して表現して暮らしているわけじゃないですか。

例えば私が住んでるフィリピンって、かなり多くのゲイとかトランスジェンダーがいるんですよ。いわゆるLGBTという人たちです。

この人たちは、自分で思考してそれを受け入れて社会もそれを認めているから成り立っているわけですよね。世界平和って案外そういうことだったりするんじゃないかなと思ったりしています。

ちなみに、フィリピンには昔、男女ともう1つの性別が正式に存在していたらしいですよ。カトリックの布教によってそれは無くなったらしいですけどね。

まとめ

世界平和の定義は人それぞれだと思います。

批判されやすいテーマだとは思いますが、別に誰が何を「世界平和」と定義したっていいんじゃない?というのが私の意見です。

めっちゃ楽観的に考えると今日のような記事になります。次回は悲観的に世界平和について綴ってみたいと思います。

最後に、世界平和ということでJohn LennonのImagineをどうぞ。

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初めまして、和久井大学(通称:UMW)学長の和久井港です。UMWは、2019年に開設され、3学部3学科から構成される人文社会科学系の総合大学です。在籍する学生数からすればそれほど規模の大きな大学ではありませんが、文芸・経済・社会学の分野で優れた人材を輩出している格式高い大学です。これからも当校では、「剛毅木訥」「独立自尊」「臥薪嘗胆」の心を持つ人間を育む為に弛まぬ努力を続けて参ります。